その本丸にはいつも美しい紫陽花が群れを成し咲き誇っていた。時折そこへ訪れるその本丸担当の男は、いつもいつも、すっかり見慣れたはずのその紫陽花群に見惚れ毎度時を忘れてしまう。この世のものではないような絢爛さを誇るその紫陽花は、毒々しいまでに緋い。寒気のするような恐ろしさを感じるけれど、それ以上に目が離せない。その紫陽花は見る者の心を蝕む様な艶麗さがあった。「担当さん、そろそろあがれよ。長谷部の淹れた茶が冷める」ゲートから玄関口へと続く道いっぱいを埋める紫陽花たちをぼうっと見つめ、立ち止まったまま動かない男に本丸の主がそう声をかけた。此処の本丸は随分と小さく、狭い。新人審神者が赴任時に与えられる初期本丸の大きさのまま増築されることのない此処は、母屋の部屋なぞ数室しか無く、離れも無ければ畑も小さく庭だってささやかなものだ。その庭も全て、紫陽花が埋め尽くしている。「あ、すいません、つい……」申し訳なさそうに頭を下げながら、担当の男は持っていた紙袋を審神者へと手渡し木戸を潜った。「お、大福!久しぶりだな~、ここのは美味いんだよ」此処は何時も、物音一つしない。己の立てる物音と審神者の話し声以外一切の音が聞こえないという、些か異様ともいえるこの環境は当初酷く狼狽えたものだった。この審神者は十六の時に就任し、もう十年経つというベテランだ。そんな審神者の本丸が新人と同じ大きさ、それだけで十分男を驚かせたが、それ以上にこの本丸に刀がたった一振りしかないという事実に男は度肝を抜かされた。「長谷部~、お前の好きな豆大福だぜ!」こじんまりとした応接間へそう声を掛けながら審神者は入っていく。数瞬の躊躇いを飲み込み、男は後に続き、室内にいるこの本丸唯一の刀に頭を下げた。「失礼致しします、へし切長谷部様」それに対して刀は何も返さず、冷ややかな青紫の瞳で男を刺し貫いている。ゾッとする程冷たく、どこまでも透き通ったその色は、いつだって男に言い知れぬ恐怖と吐き気を覚えさせるのだ。
眼底に押し寄せるさざ波
rewrite:2022.05.09