夏も終わりに近づき夜も幾分涼し気になった頃、長谷部は隣で眠る男の小さな呻き声に目を覚ました。何かから身を守る様に、こちらに背を向け小さく丸くなった背が震えている。苦し気な短く荒い息に長谷部は眉を寄せた。「あるじ?」寝起きの掠れた声で、長谷部は男に呼びかけながらその身に触れる。途端、何かとても冷たいもの、もしくはとても熱いものにでも触れられたかのように大きく体を震わせ彼は飛び起きた。水気を帯びた瞳が暗闇の中で警戒も顕わにぎらついている。「主、ほら、大丈夫ですよ」ふー、ふー、と細いが荒々しい呼気を繰り返す様はさながら手負いの獣だ。長谷部は成る丈柔い声で主を呼び、その頬に触れた。指先に触れた温度は妙に冷たく屍体のようで、急に胸に重たい石が詰まったような息苦しさが襲う。「主、もう大丈夫です、長谷部がいますから」自身も声を微かに震わせながら、長谷部は主を胸元に引き寄せ強く抱き締めた。抵抗はしないもの強張ったままの背を撫でながら、長谷部は何度も何度も大丈夫、と繰り返す。それは彼に向けてというよりも、自分に言い聞かせているようであった。大丈夫、大丈夫、この人は今俺の腕の中にいる。どこかに行ってしまうことも、ふっと目の前から消え失せてしまうことも無い。「主、……
大和さん」耳朶に唇をつけ、そっと息を吹き込むように長谷部は主の名を呼んだ。彼と生涯を誓い合った日、長谷部は主の真名を知った。真名を伝えるということは命を握らせるのと同義だ。主は、身も心も、全て長谷部へと捧げたのだ。「……ぁ、」ひくんと肩が震え、薄く開いた唇から小さな声が零れ落ちた。ゆっくり瞳の焦点が結ばれ、彼が戻ってくる。「はせべ?」とろりとした夢現の眼差しで男は長谷部を見た。「はい、長谷部ですよ」ぎゅう、ともう一度強くその身を抱き締め、長谷部は泣いてしまいそうな顔で笑う。安心したように笑った主はくったりと全てを長谷部へ預け、再び眠りへと落ちていった。その身の内、とても柔らかな部分に付けられた傷の深さに、長谷部がひとり涙を落としていることすら知らず。
野に晒された雨と傷
rewrite:2022.05.09