広い本丸の中の一番奥まった、静かで寂しい場所に俺の一室はある。周りの部屋は物置としてしか使われていない、よっぽどの用が無い限りだあれもやって来ない場所だ。
うら寂しいところだけれど、障子を開ければ縁側の向こうに裏庭があり、小さいながらも美しい花壇がある。
そこは来た当初じめじめじっとり鬱蒼とした場所であったけれど、皆から知らん振りをされ無いもののようにされていた時、暇つぶしと慰めとストレス発散を兼ねてコツコツと手入れをしていればいつの間にか美しい花々が咲き乱れていた。
美しいものは心を落ち着かせ、慰めてくれる。手ずから育てたからか、そこに咲く花は特に綺麗と思うのだ。
だからだろうか。時々、ふと夜中に目が覚めてしまったり嫌な夢を見て眠れなくなると、いつも縁側からぼんやりと花壇を眺めてしまう。月明かりに淡く照らされ、風に揺れる花々は幻想的で、騒めく胸の内を優しく宥めてくれるのだ。
今夜も真夜中に目が覚めて、夢から引き摺ってきてしまった言い知れぬ不安にじわじわと飲み込まれていく感覚に襲われ縁側に出ていた。少し冷たい風から身を守るように、成る丈小さく体を丸め膝を抱える。ふわふわと揺れながら遠くで煌く花を見つめながら、ともすれば叫んでしまいたくなる心を見ないよう見ないよう、目を逸らしていると背後で小さな物音がした。
「主……?」
振り返ってみれば、襖一枚で仕切られた右の隣室から長谷部が顔を覗かせていた。
元は雑多なものが雑多に詰め込まれていたその部屋は、長谷部が来た日に片付けをして彼の部屋としている。長谷部がキチンと壁で仕切られた左側の隣室ではなく、襖一枚で仕切られた右側の部屋を選んだのは、俺に何かあればすぐに駆け付けられるようにということなんだそうだ。その言葉のあまりの嬉しさに、俺は少しだけ泣いた。
俺を見つけた長谷部は、一度自室へと引き返し、薄手の毛布を手に再び顔を覗かせた。
「お隣、よろしいですか?」
頷けば毛布を抱えた長谷部はゆっくりと俺の隣へ腰を下ろし、そうっとその毛布を俺の肩へと掛けた。それから優しく背中を撫で、「まだ昼間は暑いくらいですが、夜はもう冷える時期です。そんな薄着では風邪を召されてしまいますよ」とその淡い青紫の美しい瞳を柔らかく細め、微笑んだ。
あたたかな手の感触と、労わるようなその笑みに、じわりと目頭が熱くなる。
「は、はせべ~……」
「はい、なんでしょう」
「はせべ、どこにもいかないでね。俺とずっと一緒にいてね」
自分でも、ひどく情けないことを言っていると分かっていた。長谷部を前にすると、俺はいつだって壊れてしまったようにボロボロとそういう、子供じみたことばかりを言ってしまう。
けれど長谷部はいつだって嘲笑も侮蔑もせず、それを受け止めてしまうのだ。だから今も、きっと長谷部は笑わない。まだ彼と一緒に過ごしはじめてひと月しか経っていないけれど、四六時中一緒に居ればどういう気質のものなのか分かるというものだ。
案の定長谷部は、緩やかに目を細めて「それは、こちらがお願い申し上げたいことですよ」と応えてくれる。それが嬉しくて嬉しくて、とうとう涙が落ちた。長谷部が来てからの俺の涙腺は壊れてしまったようで、まだ随分と幼かった頃のようにすぐに泣いてしまう。
どん、と半ば押し付けるように額を長谷部の肩にくっつければ、薄い布越しに確かな熱が伝わってきた。その瞬間、自分はひとりではないのだと実感する。
「主は少し、涙脆い方ですね」
「違う、お前のせいだよ」
「ふふ、それは甘えられていると受け取っても良いですか?」
「……うん」
ぎゅう、と肩に腕が回され抱き寄せられる。頭がぴったり長谷部の胸元とくっついて、冷たい夜風に冷えていた頬に心地よい。
「神様にも体温があるって、やっぱりなんか不思議だ」
「今は人間とそう変わりはないですから」
「うん……長谷部すごくあったかい」
長谷部が優しく背を撫でるから、つい甘えるように擦り寄ってしまう。あたたかい。このまま眠ってしまいたいくらいだ。少しうとうとしだした俺に気が付いたのか、長谷部は「主、そろそろ寝ましょうか」と微笑んだ。まるで甘やかすようなその柔らかな笑顔をぼうっと見つめていれば、長谷部は毛布ごと俺を抱え上げてしまった。
吃驚して固まる俺に微笑みだけ向けて、長谷部はそのまま部屋へ入りまるで壊れ物でも扱うようにそうっと俺を布団へ下ろした。そのまま流れるように障子を閉めて、俺の隣へと潜り込んでくる。
「あの、長谷部?」
「はい」
返事をしながら長谷部は掛け布団をしっかりと俺の肩まで掛けた。一人で眠るには十分だけれど、二人で寝るにはやや狭い布団で左側がぴったりと長谷部と触れている。
混乱したままの俺に長谷部は柔く微笑んだまま「この長谷部が一緒にいますから、きっともう悪い夢もみませんよ」と寝かしつける様に掛け布団の上からとんとん、と俺の腹辺りを叩いてきた。
「はせべ」
「大丈夫ですよ、主が眠っている間は、俺がちゃんと主をお守りいたしますから」
緩やかに目を細めそういう長谷部の手をぎゅうっと握れば、安心させるように握り返してくれる。それだけでぽっかりとすぐ真後ろで口を開けていたものが消えていくように思えて、体から力が抜けていった。
やっぱり長谷部はすごい。俺の神様は、とっても強いのだ。
ここひと月ですっかり嗅ぎ慣れてしまった長谷部の淡い、白檀にも似た香りがふわりと俺を包む。香の匂いなのかは分からない。けれどそれはいつも長谷部からふんわりと漂ってくるもので、時々ベルガモットのような、柑橘系の香りも混じっているようにも思えるそれは、俺の心をとても落ち着けさせるのだ。
「お休みなさい、主。よい夢を」
甘やかな囁き声が、夢の淵で立ち尽くす俺の背をそうっと押した。きっともう、今夜は悪夢を見ないだろう。
君の幸いの日、星の降る夜
2018.04.14 | スパダリの気がある長谷部です。長谷部の香りはとても個人的な好みで描写しています。