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強化合宿中に肝試しが行われたあの日、彼らが何に巻き込まれ、何があったのか、ただ一人を除いて誰も全容を把握していない。当事者であるはずの赤司征十郎や河合宏和も自分たちの身に何が起きたのか知らず、全てを知っているであろうただ一人の工藤大和はただ笑い、口を噤んでいる。何が起きたのか、何があったのか、あの神社に何があったのか。そのどれにも“何も”と肩を竦め、“何もいなかった”と愉快そうに目を細めるのだ。

そして誰も知らないその“何か”があってから、赤司と大和の関係は変質した。そう黒子テツヤは思う。
あの肝試しで何かが起きてから、赤司の大和へ対する信用と信頼が大幅に増し、それどころか恋にも似た酩酊を感じさせるのだ。あんなに理解出来ない、なるべく頼りたくない、関わりたくないと全身で表現していたというのに、今では何かというとすぐに連絡を取って会い、交流を重ねている。
転がり落ちていくようなその様は、傍目で見ても恐ろしいもので、黒子だけでなく大和が“何がとは言えないが何かヤバい男”だと思っているバスケ部レギュラー陣たちも赤司を心配していた。
赤司が何に巻き込まれたのか尋ねた時に見せた、ただこちらの不安を煽るだけの不穏な笑み。何かが潜む沼底の瞳。今までの全てがこの男の仕業ではないのかと思わせるに足る不吉なモノが纏わりついたその姿は、レギュラー陣に暫くの間悪夢をみせるほどであった。
そんな男と自分の友達が仲良くしている。それこそ悪夢である。絶対に何かトンデモないことに巻き込まれるに決まっている、と黒子テツヤと黄瀬涼太は事ある事に伝え、緑間真太郎は毎朝ラッキーアイテムを渡した。紫原敦と青峰大輝はもう手遅れであろうことは分かっていたので黙って見ていた。

さて、周囲に散々心配され交友関係に凄まじく口を挟まれている赤司だが、彼は大和との交流を止めはしなかった。止めようとは思わなかったし、そもそも止められないとも言える。二年生になってから赤司の周囲では所謂怪現象が頻発し、それを解消或いは解決出来る存在が大和だった。神社や寺を頼る手もあったはずなのに、どうしてかそうしようと思う気持ちがふっと消えてしまう。きっとどうにもならない、彼しか自分を助けられない、どうしてかそう、思ってしまうのだ。


* * *


三年生たちも引退し、新部長としての仕事にも慣れた十一月、赤司は父親に“実家”へ行くようにと夕食の場で告げられた。
父親の言う“実家”とはその言葉通り父の生家のことだ。そこそこに由緒のある家柄である赤司家は先祖代々長男が当主として実家、もとい本家へと残りそれ以外はみな成人を迎えれば家を出る仕来りとなっている。赤司の父親も仕来り通り、成人を機に家を出て結婚し居を構えた。
いつだったか、赤司は何かの折に父から実家のことでひとつ、聞いていた。成人し家を出た後は、冠婚葬祭以外で本家へ戻ってはならない。どれだけ近くに来ることがあっても顔を出してはならず、冠婚葬祭で戻る際も必ず“本人”のみ、一人で赴くこと、というものだ。
それを聞いたときは変な決まりだと思ったことを覚えている。その話をした際の父がうんざりとしたような憂鬱そうな顔をしていたこともまた、妙な記憶として残っていた。
今、赤司へ“実家”へ赴くよう告げた父の顔がどこか歪んで見えるのはその時の記憶の名残なのだろうか。

「実家には本人しか赴いてはいけないのでは?」
「……現当主の呼び出しは例外だ」

現当主、父の兄にあたる人物の呼び出し。どうしてか嫌な予感がして、すうっと血の気が引いていく。

「日時は今週の土曜日、午後二時だ。駅までは送るがその先は一人で行け」
「……わかりました」

もう食事の味など分からなかった。ただただ腹の底がどんどんと冷えていくような感覚だけが心身を占めていく。
何故父親ではなくその息子を呼ぶのか。たかだか十四歳の子供に一体何の用があるというのだ?
ぐるぐるとどれだけ考えても答えなど出てくるわけも無い。どんな要件なのか聞いたところで父のあの様子では教えてくれないだろう。もしかすると父すらもその要件を知らされていないかもしれないけれど。
風呂で温まっても纏わりつくような怖気は決して消えず、そのまま眠ることも出来ず、赤司は通話アプリを立ち上げ一番上に表示されたその名前を選んだ。

『実家ねぇ……“本人”以外立ち入り禁止か、はは』

夕食の場での事を全て話すと、通話相手である大和は興味深そうに相槌を打ち、何かを納得したような声で笑った。

『行くの?』
「行くしかないからな」
『ふ~ん……まだ組紐付いてる?』
「ああ」
『ならちゃんと付けたまま行って。で、なるべくソレ、見られないようにしな』
「どうして」

『どうしてって、見つかったら切られるからに決まってるだろ?』

何馬鹿なことを、と言わんばかりの笑いを含んだ声に赤司は口を噤んだ。
どうして切られるに決まっているのだ。そんな疑問が透けて見えたのか、大和は小さな子供に言い聞かせる様に優し気な声で続けた。

『そうだろ?飼うつもりで目を付けてた奴が、首輪して帰って来たらどうする?周りに飼い主はいなくて、そいつだけしかない。なら、首輪なんざ切っちまって自分のモノにしちまうだろ』
「……どういう意味だ」
『だからお前のその危機感は正しいよ。きっとその“本家”はお前にとって恐ろしい場所になる。俺にとってもね』

こちらの言葉なんぞ聞かず、男は続ける。

『なあ征十郎。選ばなくちゃいけない時は、俺のことを選んで』

愛を囁くものに似た甘くとけた声が思考に靄を掛けていく。意識の端からとろとろと解けて滲んでいくような、そんな怖ろしいのに心地良い感覚が赤司を飲み込んでいった。耳元で聞こえる音が、直接脳に響いて聞こえてくる。

『征十郎、間違えるなよ。お前を救えるのは俺だけだ、なあ、そうだろう?』

そうだろうか。そうなのかもしれない。あの病室で目覚めてからずっと自分を助けてくれたのは他の誰でもない、この男だ。
ぼうっと夢現の意識のまま『何かあったらすぐに俺の名前を呼んで、絶対に助けに行くから』と囁かれた言葉に頷いて、電話を切る直前、何かを囁かれた。たった一言のように思える短い言葉だった。けれどそれが何か、聞こえたはずなのに赤司には聞き取ることは出来なかった。


* * *


流石赤司家といえばいいのか、二世帯ほどしか暮らしていない割には随分と立派な日本家屋を前に赤司は呼び鈴を押すことも出来ず立ち尽くしていた。
入りたくない。このまま回れ右をして駅に戻り、家へ帰って眠ってしまえたらどれだけ良いだろう。
コートの上からそっと右手首を握る。赤司にとっての命綱が結ばれたその場所に触れ少しでも気持ちを落ち着かせようとするが、気分は沈んだまま一向に浮上せず体はひどく重たいままだ。
ポケットに入れたスマートフォンがブブッと短く振動し約束の時間が迫っていることを知らせてくる。もう腹を括るしかない。今にも吐いてしまいそうな青い顔のまま、赤司は呼び鈴を押した。

不死の庭先

2021.07.04