どうしてこうなるんだ、と赤司征十郎は目の前で満面の笑みを浮かべながら「じゃあ九時に玄関集合な!」と言う男を死んだ目で見つめた。
ことは、三連休を使用した全中へ向けての集中強化合宿がいつもの合宿所ではなく、少し遠くの合宿所になったことから始まる。初めて使うその合宿所は、大きな体育館とグラウンドもあり出来たばかりなようでどこも綺麗で、部員たちも大喜びしていた。
だが赤司には、その合宿所の背後にある山が気になって仕方がなかった。山へ登れるらしき道はあるものの鬱蒼とし、手前付近しか見通せない。そこに漂う空気が、赤司にはとても恐ろしいもののように思えたのだ。出来ることならば、この合宿を終えるその日まで近付きたくはない。そう思っていた。
そう思っていたのだが、合宿二日目の土曜日。夕食の間で放たれた帝光中学校バスケ部部長である虹村修造の発言により、赤司の願いは儚く散った。
「うわ、赤司っち大丈夫っスか?めちゃくちゃお茶が零れてんスけど」
夕食後、つかの間の自由時間で赤司は完全に放心していた。コップに注いでいた麦茶は当に零れ、床をびしゃびしゃにしている。水を飲みに来てその様子を目撃した黄瀬に声をかけられて漸く、赤司ははたと現実に戻ってきた。
慌てて汚したテーブルと床を拭き、手伝ってくれた黄瀬へ礼を言う赤司の心は、まだ千々に乱れたまま戻らない。
「参加、するんスか?」
「……するしかないだろう」
「具合悪いって言ってみたらどうっスか?」
「すぐにバレるぞ」
「じゃあ怖くて行きたくないって」
「面白がられるだけじゃないか?」
「……」
虹村は少々強引で乱暴なところもあるが、基本的に面倒見のいい兄貴肌の男だ。本心から嫌がっていると分かれば見学にしてくれそうであるが、面白がられてそのまま囲まれ連れて行かれてしまう可能性も無くはない。
しばしの沈黙の後、黄瀬の「マトっちに連絡してみたら?何かあったときのこととか教えてくれるかもしんないっスよ」という言葉に赤司は力なく返事をする。大和に連絡する、というのはもうずっと考えていたことである。虹村が「今日肝試しすんぞ!」と夕食の場で発言した瞬間からずっと、大和に連絡する、という選択肢が脳内でぴかぴかと光っていたのだ。
だが、その選択肢にすぐさま飛び付けないのだ。赤司の自室で共に寝て以来、どうでもいい話やちょっとした心霊現象のことで割と頻繁に大和と連絡は取っていたが、やはりどこかで彼に助けを求めることに躊躇いがある。大和のことを信用しているが、信頼出来ないのだ。黒子に言われたことがずっと、しこりのように存在して。
―――彼はそんなに『良いモノ』ではない気がするんです
『良いモノ』じゃないっていうんなら、なんだっていうんだ。時々、黒子にそう尋ねたくなる。あの時、お前は何を感じたんだ、あいつのことを何だと思ったんだ、教えてくれ。みっともなく縋り付いて揺さぶって、そう言いたくなるのだ。そしてその答えでもって、決めてしまいたいのだ。赤司の持つ大和へのはっきりしないごちゃごちゃと絡まったものがどういう感情からなのかくるものなのか。
じい、とコップへなみなみと注がれた麦茶を見つめる赤司に、黄瀬はふと思いついたように言った。
「マトっちのこと、呼んじゃえば?」
「……は?」
「マトっち、めちゃくちゃ赤司っちのこと気に入ってるから呼べば来てくれそうっスけど」
「どうやってくるんだ、こんな時間に」
「タクシーでもなんでもあるっしょ」
「……」
「ちょっと言ってみたらどうっスか、肝試しするから来てって。ある意味非常事態だし、来てくれるんじゃないっス?あの人めちゃくちゃフットワーク軽そうだし」
「……」
「赤司っちが言い辛いんなら俺が言っても良いっスよ」
マトっちの番号教えて、と言いながら黄瀬はポケットからスマートフォンを引っ張り出した。何も言っていないのに、いつの間にやら大和を呼ぶことが決定している現状に赤司は困惑を滲ませる。
しかし、確かに大和が来てくれれば心強いだろう。ナニかが起きても、きっと彼ならばなんとかしてくれるはずだから。だが―――と、赤司の心内は堂々巡りするばかりで結論が出ない。彼に関するといつだって赤司は何の答えも出せなくなる。
「……俺から連絡してみるよ、ありがとう黄瀬」
「俺何にもしてないっスよ」
何かあったら言ってね、とへらりと笑って黄瀬は水のボトルを持って割り振られた部屋へと戻って行った。麦茶に満ちたコップを手に、赤司はひとつ溜息を吐いてそれを飲んだ。
これを飲んだら大和へ連絡しよう。あんまりぐずぐずしているとすぐに九時になってしまう。
* * *
『肝試し?誰だよ発案者、馬鹿じゃねーの』
「……すまない」
『別にお前に怒ってるわけじゃないから謝られてもさあ……はあ、何処?』
「多分××山だと思う。今そこの合宿所にいるから」
『は~?山ァ?そんなに死にてぇなら一人でひっそり死んでくれよ……』
「……そんなに危ないところなのか」
『山なんて大抵何処も危ねーわ、夜だし。あー××山って結構距離あんな……ちょっと一回切るわ。すぐ掛け直すから』
「わかった」
「はい」
『集合って九時だよな?』
「そうだが、来るのか?」
『あ?行かないほうがいいの?』
「いや……来てくれるなら有難いが、来れるのか?」
『行くけど?つーかもう向かってる。えーと九時前には着く予定』
「すまない、タクシー代はこっちで払う」
『ああ、平気。タクシーじゃなくて知り合いの車で行ってるから。ヤバそうなら連れて帰れるよう待機させとけるし』
「え」
『まあ何ともないと思うけど、お前引っ張られやすいし最悪俺ん家連れてきゃどうとでもなるから』
「……」
『じゃあ着いたらまた連絡するから、参加者ひとり増える話しといて』
「わかった……ありがとう」
『どういたしまして!』
やめておけばよかったのに
2020.06.22