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彼を探してきた僕に感謝してくださいね、とは、十日ほど意識不明の状態で入院していた赤司征十郎が目覚め、やっと血縁者以外の面会が許され訪れてくれた黒子テツヤの第一声である。
先に病室へ来て散々泣いて騒いだ黄瀬涼太と、それを宥めた青峰大輝と桃井さつきが黄瀬を連れ帰ってしばらくしてから、紫原敦と緑間真太郎の二人と一緒にやってきた黒子は、その後ろに一人の男を連れていた。異国の血が混ざっているのか、彫の深いはっきりとした顔立ちの青緑の瞳をしたその男は知らない学校の制服を着ている。同い年か、一つ上くらいだろう、赤司はそう判断し状況を理解できていないながらも男に歓迎の意も兼ねて会釈した。
紫原と緑間はもともと男と面識があったのか、ごく自然に会話を交わしている。赤司だけが男のことを知らず、また黒子の言葉の意味も分かりかねていた。

「ま、でも無事赤ちんの意識戻って良かったよね」
「そうですね、本当に工藤君のおかげです。紹介しますね、赤司君。彼は工藤大和君、明洸中学の二年生で、君の命の恩人です」
「どーも、命の恩人の工藤でーす」

御座なりな挨拶をした男、工藤大和に赤司はまだ状況が分からず混乱したまま「そうか、ありがとう」と返す。
命の恩人とはなんなのか。男の声に聞き覚えがあるような気がするのは何故なんだろう。赤司は黒子を見つめ、説明を求めた。

「赤司君はこの病院で意識を取り戻す前のことはどこまで覚えていますか?」
「どこまで……」

この病院で目覚める前のこと、最後に記憶に残っていること。はて、と考えた赤司の脳裏に過るのは、ぬらぬらと濡れたような輝きを放つ丸い手鏡と、なにかとても恐ろしいと感じる夢をみた感覚だ。どんな夢だったかは全く記憶にないのに、頭がおかしくなりそうな程恐ろしくて悍ましい総毛立つ夢だったことは確かに覚えている。
赤司は夢の恐怖を思い出し震える唇で「部屋で不思議な鏡を見つけてから、厭な夢を頻繁にみていた」と答えた。学校で何をして家でどう過ごしていたのか、その悪夢をみていた頃の記憶は曖昧だが、ここで目覚める前までの中で一番新しい記憶はそれだ。
黒子はひとつ頷き、続ける。

「君はその鏡に呪われてしまっていたんですよ。それで死に掛けていました」
「えっ」
「どこまではっきり覚えているのか分かりませんが、君の魂はあの鏡に取り込まれ、肉体だけがこの世にある状態だったんです」
「ええ……?」
「そんな君の魂を呼び戻し、肉体に結び直してくれたのが、この工藤君なんです」

話が急展開すぎてついていけていない赤司を置いて、そう言いながら黒子は隣に置かれた丸椅子に腰かけていた大和を指し示した。黒子の話を聞いているのかいないのか、大和は紫原と一緒にお見舞いの品を漁っている。緑間は窘めているが聞いている様子はみられない。

工藤君は神社の息子さんで、そういう心霊体験に強いんですよ」
「強いの意味が分かりかねる」
「なんて言えばいいんですかね、寺生まれのTさんみたいなもんですよ。この人が出てくればもう大丈夫、みたいな」
「はあ……?」
「ね、そうですよね工藤君」
「ああうん、ソーネ」

絶対聞いていなかっただろうに話を振られ適当に返事をする大和は葡萄を頬張っている。自由というかふてぶてしいというか、本当にこの男が命の恩人だとでもいうのか。信じられるほどの根拠も提示されていないが、意識不明となっていた原因も回復した原因もまだ不明の状態であるから否定できる根拠もない。
なんともいえない顔をしている赤司に、黒子は困った人ですね、という顔をして大和の腕を軽く叩く。

工藤君、やっぱり君がきちんと説明したほうがいいですよ」

葡萄を半分ほど平らげた大和は頷きながら咀嚼していたものを飲み込み、残りを緑間へと押し付ける。さて、とでもいうように赤司へ顔を向け、「夢の中のことは何にも覚えてねぇの」と問いかけた。
改めてそう訊かれ、赤司はまた記憶を辿る。だがいくら辿れど恐ろしい夢だった、という記憶しかなく、その中身は一向に思い出せない。

「いや、何も覚えていない」
「ふーん、欠けた弊害かね。今身体怠いだろ」
「ああ、まあ……」
「それってまあ十日も寝たきりだったっていうのもあるんだろうけど大部分はお前が欠けたことに原因がある。欠けたのは魂とか精神とかそういう感じのものかな……人の魂がもともと美しい百パーセントの球体だとすると、お前のは少しかけた九十パーセントの球体、みたいな感じ。実際怠いだけじゃないだろ?なにか”足りない”感じはしないか?」
「……」
「心当たりはあるって顔だな。で、そうなった原因だけど、さっき黒子も言ってた通り鏡だよ。お前が持ってた丸い手鏡、あれ、呪いに使われてたような曰く付きの代物だ。鏡の入れられてた桐箱の中に護符も入ってたし間違いないと思うけど、それをなんでお前が持っていたのか。心当たりはあるか」
「……いや、無い。いつの間にか自室のクローゼットに入っていて、衣替えの準備をしているときに見つけたんだ。誰かから貰ったのか、自分で買ったのか、全く分からない」
「無いはずは無いぜ、赤司征十郎」

ぐっと身を乗り出してきた大和の纏う雰囲気が変わる。底冷えのするような不穏な気配、沼のように底の見えない目の奥に、何かが渦巻いている。蠢くそれがじっとりと赤司を見つめていた。
急速に口の中が干上がって、喉がからからになっていく。悪寒と震えに襲われながらもその瞳から目を逸らすことが出来ない。
一気に異様な空気に包まれた病室内の奥で、緑間と紫原が怯えた顔でこちらを見ているのを視界の端に捉えながら、赤司は詰まる言葉を何とか吐き出す。

「本当に、無いんだ。……俺の記憶には無い」
「そう。でも”覚えてない”だけで、全部自業自得なんだぜ、今回の、これ」

赤司にだけ聞こえるようにそうっと潜められた声は愛を囁くように甘いのに、告げられる内容は恐ろしいものだった。

「あの子をあの部屋に閉じ込めたのは、お前だろう?」


* * *


もう何度目になるか分からない溜息を吐き、赤司はぼうっと窓の外を見つめる。昨日の出来事が衝撃的で、昨夜はあまり眠れなかったせいか頭もよく働かず、何もする気になれない。
赤司の心内を大いに乱した大和はあの後、また来るとだけ残してさっさと椅子から立ち上がり病室を出ていってしまった。残された四人はただ呆然とその背中を見送り、それからすぐに逃げるよう紫原と緑間も病室をあとにした。ただひとり残った黒子に、赤司は治まらない動揺を抱えたまま大和がどういう男なのかを尋ねた。

『どう、と言えるほど僕もまだ彼のことをよく知らないんです。僕の親友が工藤君と同じ学校に通っていて、赤司君のことを少し彼に相談したんです。そうしたらきっと助けになってくれると思う、と工藤君を紹介されて、それが君が意識不明なって三日くらいのことです』

そう言われ、ふと悪夢の中で聞いた気がする「お前、もう飲み込まれてるぞ」という言葉を思い出した。確信はないがその声は大和の声に似ている気がしたのだ。

『それから、工藤君に僕が知っている限りのこと、君から聞いていた話だとか、青峰君たちから見た君の話だとかをして……それから、君の部屋から持ち出した鏡を手渡しました。きっと工藤君ならなんとかしてくれるかと、彼の家は神社だと言っていましたし、お祓いやお焚き上げをしてくれるかと思って。工藤君は鏡をみて、すぐに何か分かったみたいでした。なんとかしてやるって言って……実際彼が何をしたのか、僕は知りません。でも、一週間後君は目を覚ましました。僕が知っているのはそこまでで、彼のことも霊的なことの対処ができる人で、見た目よりもずっと親しみやすい人だっていう印象しかなかったんです……今さっきまでは』

そう締め括り、黒子も病室をあとにした。残された赤司はいまだ解消されていない疑問と混乱を抱いたまま、夜を越したのである。
赤司は黒子から聞いた話から自分が置かれていた状況はある程度理解していた。所謂呪いの鏡で命の危機に瀕していた、ということらしい。それが事実かどうか、自身に確固たる記憶が無いため黒子の話を信じるしかない。
それを解決したのが大和だということも理解した。
だが、ひとつ理解出来ないのが、大和が残した言葉だ。”覚えてない”だけで、全部自業自得、というのも覚えがないため分からないが、なによりも理解し難いのは、あの子、という言葉だ。

『あの子をあの部屋に閉じ込めたのは、お前だろう?』

彼はそう言った。あの子も、あの部屋も分からないのに、閉じ込めたとはどういう意味だ。
窓の外を眺めながら悶々と考えこんでいた赤司は、病室に誰かが入ってきていたことに気付かなかった。

「思い出したか?」

耳元から聞こえた声に、赤司は悲鳴を飲み込んだ。勢いよく振り返り見れば、昨日の男が口元を歪め禍々しさすら感じる笑みを浮かべ立っていた。

「その様子じゃあなぁんにも分かんないって感じだな。あら~目の下に隈までつくっちゃって可哀想に」

まるで恋人にでも触れるように優しく頬にあたたかな手が添えられ、目の下を親指でさすられる。愛おしそうに目を細めるその顔は甘く、柔らかだ。だが目だけが、見る者を引き摺り込まんとする得体の知れない不気味なものを宿している。
赤司はさながら蛇に睨まれた蛙のように成す術もなく震えるしかない。嫌な汗が背筋を伝い落ちていく。

「意地悪し過ぎてもあれだし、この俺が一から十までみっちり教えてるよ」

今日はまだ時間がたんまりあるからな、といって大和はベッドへと腰掛け、ポケットから古ぼけた真四角の桐箱を取り出した。

そろりと悪夢はやってくる

2020.03.23 | 追い詰められて子猫のように震える赤司征十郎がみたくてはじめたシリーズです。