赤司君のトンデモねえ恋人である東雲君は、マネージャーとしてお手伝いに来てから時々部活に顔を出すようになった。
桃井さんと仲良くなったようで、遊びに来た日は二人できゃっきゃと笑いあいながらマネージャー業をしている。赤司君の良い子なんだという言葉通り、部員たちへの気配りも完璧でサポートぶりも素晴らしいものだった。
時折黄瀬君がビビり散らかしたりしていたが、僕らにも特にこれといった危害もなく、もしかすると赤司君が関わらなければごく普通の良い人なのかもしれない。
そう思っていた時期が僕にもありました。
「黒子、ちょっと知恵を貸してくれ」
恐ろしく真顔な赤司君がそう言ってきたのは、赤司君の爪が無事完治して数日したある日の部活動の始まる十分前のことである。
無駄に顔面が整っている人間の真顔というのは本当に迫力があっていけない。別段怒られてもいないし悪いことなどしていないのに、謝りたくなるし逃げたくもなる。
「なんでしょうか」
「その……薫にまた爪を剥がされそうで」
「はい。……?」
「なんと言えば止めてもらえると思う?」
「???」
「今朝、薫が『治ったんならまたやろうね』って言ってきて。その場はまあひとまずこれから授業もあるからって言って逃げて来たんだが、どうすればいいだろう」
「警察に行けば良いと思います」
「いやそこまでは……」
この後に及んで何を躊躇っているのか全く理解できない。
「はあ、そうですか。では解散で」
「待て待て待て、待ってくれ黒子」
「いやこれ以上何を求めているんですか?平和的解決など不可能では?」
「そ、そんなことはない、はず、だと思う」
たいていの物事においてはっきりとした物言いをする赤司君は、こと東雲君に関した途端どうにもこうにも煮え切らない男になる。『恋は人をダメにする』の典型だな、とそんな赤司君を見るにつけ僕はしみじみ思ってしまった。
もにょもにょ何かを言っている赤司君をじろじろ眺めていると、何か面白そうとでも思ったのか紫原君が寄ってくる。
「赤ちん何ごねてんの」
「ごねてない……」
「紫原君にも聞いてみましょう、赤司君」
「なに?」
「赤司君がまた爪を剥がされることになっていまして、それをどう回避すればいいのか相談されていたんですよ」
「別れれば?」
「ほら。大体みんなこうですよ。平和的解決は無理ですって」
「平和的に解決したいんだったらもう最初っから全部剥がしとけば?それなら剥がされねーじゃん」
「まあ剥がすものもないですしね」
「どこも平和じゃない、まってくれ……」
あ~、と嘆きを多分に含んだ声を出しながら赤司君はしゃがみ込み頭を抱えてしまった。
そこまで別れたくないと思うほど好きなのだろうか。その割には彼らはベタベタくっついたりいちゃいちゃとした公害じみた会話をする訳でもない。
前に東雲君のどこが好きなのか聞いた時、彼は一生懸命なところ、と恋に浮かれ切った男の顔で笑っていたけれど、ただそれだけでここまで許すものなのだろうか。やはりもう恋などと言うものではなく、依存や洗脳といった部類にまでいってしまっているのでは?
「赤司君、やっぱりカウンセリング受けましょう」
「何故」
「おかしいですよ、君」
何を言われているのか分からない、という顔で僕を見上げる赤司君の丸くなった目を覗き込む。
「君が今受けているのが立派な暴力だということは分かりますか」
「いや……まあ、でもあれは、」
「君は、愛情表現として東雲君を殴りますか?」
「……」
「蹴ったり、何かで打ったりしますか?治るまで相当の時間がかかるような怪我を負わせたことは?」
黙り込んだ赤司君はどこかぼうっとした顔で視線を彷徨わせ、それから小さな声で「ない」と答えた。そうだろう、大体の人間は「ない」だ。
「東雲君のそれは、愛なんですか」
視線を下げてしまった赤司君がどんな顔をしているのか僕からは見えない。けれど何かを考えるように黙り込んだ彼は、そのまま部活動の開始時間まで何も答えることはなかった。
* * *
この世に平和的な話し合いが成功したという事例は幾つくらいあるのだろう。
昨日僕で爪剥ぎを断る方法を検索していった赤司君は今日、頬にどデカい湿布を貼って登校してきた。赤司君の憎たらしいほど整った輪郭はすっかり歪んでいて、左頬を覆った湿布の下が痛々しいほど腫れているのだろうということは容易に想像できる。
「い、一体何がどうしたのだよ赤司……」
昼休みに、おそらくあらゆる人に聞かれたであろう質問を緑間君も投げかけた。
「まあ、色々あって」
この場の誰よりも沈んだ顏をして赤司君は薄く笑った。
『色々』の中身は恐らく、東雲君の“愛情表現”について話をしたところ逆上されたか何かして思い切り打たれたか殴られたといったところだろう。口の中も切れているのかうどんを啜っては顔を顰めていた。
なんとも重たい沈黙が流れる。
と、場の空気を壊すような軽やかな声で「で、別れたの?」と紫原君はミートボールにくっついていたキャベツをはがして皿の隅に捨てながら言った。
「なんでお前たちはそんなに別れさせたがるんだ」
「お前が心配だからだろ」
「そうっスよ。チームメイトがぼっこぼこにされてりゃ誰だって心配するでしょ」
「ぼこぼこにはされてない」
「準ぼこぼこですよ」
「で、別れたの?別れてないの?」
「別れない」
別れていない、ではなくて別れない、と言った言葉に拒絶のようなものを感じ取って僕たちは顔を見合わせた。
「向こうから別れ話でもされたんスか」
「……ああ。俺は薫を傷つけてしまった」
トンデモなく深い溜息を吐いた赤司君の顔にはでかでかと絶望!と書いてあった。この、命でも救われたのか?と聞きたくなるいっそ異様なまでの傾倒ぶりが本当に理解できない。
黄瀬君のような人に女の子たちが傾倒していくのはなんとなく分かる。なんせ黄瀬君は顔だけは超一級品。テレビに出るような芸能人ではないからそういった人たちよりはずっと身近で、“もしかしたら”がありえるとなれば、追っかけたりなんだりするのだろう。
東雲君も整った顔をしているけれど、赤司君のほうがよっぽど面は良いだろうし、そもそも赤司君は人間の美醜に興味が無い。外見などただの容れ物だろう、とグラビア雑誌に盛り上がる黄瀬君と青峰君にいつだか言っていたくらいだ(その容れ物が重要なんだろうが、と二人は叫んでいた)。
じめじめときのこの生えそうな落ち込み方をする赤司君に、僕たちはまた顔を見合わせたのだった。
くすんだり曇ったり笑ったり
rewrite:2022.05.17