04

リストラされたサラリーマンの如き落ち込みで、絶望と虚無の混じり合った顔をしていた赤司っちの調子が上向きになったのは、それから三日後の金曜日のことだった。

部活開始時刻、体育館に現れた赤司っちは昨日までの死んだ動物みたいなどこまでも透き通った虚ろな目ではなく、しっかりとした眼つきをしていた。ちゃんと視線が合うし、なんなら微笑つきで挨拶をしている。
何があったんだか知らないけれど、まああの東雲クンと何かがどうにかなったんだろう。三日前の昼休み、俺の思っていた以上に東雲クンにどっぷりな赤司っちを見てから、なんとなく二人に関わると碌なことにならない気がして何があったのかは積極的に聞く気が起きない。
紫原っちもそうなのか、黒子っちと赤司っちの二人が話しているのを遠巻きに眺めつつ話の内容を聞いている。

「二人のこれからについてって言っていたし、も衝動的に別れ話を出してしまったみたいだからな」
「はあ、そうですか。部活終わってからだとだいぶ遅くなりません?」
「ああ、大丈夫。今日は俺の家に泊まることになってるから」
「だ、大丈夫なんですか?」
の親からも了承をとっているしはじめてじゃないから大丈夫だと思うが。俺とが付き合っていることはどちらの親も知っているし」
「ああいえ、その大丈夫ではなくて、君が大丈夫かって言う話です」
「俺?」
東雲君と二人きりなんですよね?」

密室に恋人と二人きり、何も起こらないはずがなく―――
と一瞬テロップが俺の脳裏で流れたが、そのテロップは一瞬で血まみれになった。つまり黒子っちの心配って、あの東雲クンと二人っきりの密室で、爪剥ぎ以上の恐ろしい目に遭うのではないですか、ということなのだろう。
誰の目も無いのをいいことに、赤司っちにあんなことやそんなこと……。

「黄瀬ちん、顔真っ青だけど」
「どどどどうしよう紫原っち!あ、赤司っちが死んじゃう……!」
「流石にそこまではしないでしょ」
「なんでそんなこと言いきれるんスか!?赤司っちのこと平気でぼこぼこにする人なんスよ!?」
「だからでしょ」
「えっ」
「多分だけどさぁ、ああいうタイプって別に暴力振りたくて振ってるんじゃなくて手段のひとつとしてそれ以外の選択肢が無いからそうしてるんでしょ」
「どういうこと……?」
「だからぁ、服従させたい支配したいっていうのがベースんなってるから、殺しちゃったら元も子もないじゃんってこと」
「もっと分かり易く言って」
「つまり赤司君を支配したくてぼこぼこにしているだけなので、殺してしまったら支配出来なくなるのでしませんということです。赤司君が自分に服従するようになれば暴力行為自体無くなるでしょうね」
「ひゅっ」
「あ、白目」
「く、黒子っちもっと気配出して近付いて!」

いつの間にか背後に立っていた黒子っちの声に心臓は止まったし一瞬白目を剥いてしまった。最近すごいメンタルがぐらぐらになっているので驚かせないでほしい。
赤司っちはもう桃っちとメニューの確認をして指示を出し始めている。紫原っちと話している間に話は終わってしまったようだ。

「黒ちんもうほっとけば?馬に蹴られる前に向こうに何かされそー」
「でも、」
「言えば言うほど聞かないって。赤ちん、今頭おかしいし。もっとヤバい目に遭えば目ぇ覚めるんじゃない?」
「今以上にもっとヤバい目……」
「たとえば、」
「あー!やめて!言わないで!」

「そこ、いつまで話をしているつもりだ」

いやー!と耳を塞いでいると、呆れ顔の赤司っちの声がかかった。やっぱり昨日までとは大違いに元気そうだ。それからもずっといつも通り、今まで通りの赤司っちで緑間っちも安心したという顔をしていた。
やっと部活も終わった帰り、いつもは途中までみんな一緒に帰ってコンビニで何か食べたりしていたけれど、今日は赤司っちは東雲クンと帰るから、と体育館前で別れることとなった。
東雲クンが待っているらしい正面玄関の方へ向かう赤司っちの足取りは軽く、浮かれているように見える。こうして見ると、赤司っちも普通の男なんだなとしみじみ思う。

「赤司っち楽しそうっスね」
「そりゃ付き合ってる奴と泊まりっつったらテンションもあがるだろ」
「赤ちんも男だから」
「相手も男っスけどね」
「明日の部活、無傷で来るといいですね」
「黒ちん縁起でもねーこと言うなって」
「緑間っち、ラッキーアイテム教えといてあげて」
「最近は毎日伝えているのだよ」
「流石おは朝教」
「明日赤司君から返信が無ければ警察呼びましょうか」

なんて騒ぎながら帰った翌日、赤司っちはちゃんと緑間っちに返信したし怪我もなく無事に体育館へやって来た。
一体どんな話をしたのか俺は詳しくは聞かなかったけれど、二人はきちんとお話をして仲直りしたらしい。詳しく聞いた黒子っちはうんざりした顔で盛大に惚気られました、と唾でも吐き捨てる顔で言っていたので、まあお互い納得できる話が出来たのだろう。
それから赤司っちは特に爪を剥がされることも無く、それ以外の怪我もすることは無かった(一度怒られたと言って頬を腫らしていたが)。東雲クン自身も時折部に顔を出していたが、これといってヤクザ的揉め事も流血沙汰も起こさず楽しそうに手伝いをしてくれていた。
そうして、俺たちは無事に卒業したのである。


* * *


かつて二人で行われたという話し合いで彼の欲求はある程度満たされたのだと思っていたけれど、それは間違いだったのかもしれない。

僕らがそれぞればらばらの土地へと進学し約一年、初めてのウィンターカップで再びかつてのチームメイトたちが集まった。
みんな身長や見た目の変化は多少あったものの、その中身はほとんど変わっていない。和気藹々と近況を語りながら赤司君が来るのを待っていた僕らは、やってきた彼の姿に息をのんだ。
腕や首筋に薄く残っている切り傷のような怪我の痕、まだ新しそうな痣が見える。一体どういうことだ。痣だけならまだ練習中にぶつかっただとか、不注意でだとか理由は付けられる。だが切り傷は、どう考えても故意でしか在り得ない。
一瞬虐めが過ったが、赤司君を虐められるような人間が彼の周囲にいるとは思えないし、そうなれば彼の恋人が黙っていないだろう。となれば、その痕は彼の恋人、東雲君がつけたとしか思えない。
二年生の頃のあの仲直りをした日から、彼らは争いごとらしいことはしていないはずだ。赤司君も怪我は無く仲良くしていて、だから赤司君はちゃんと自分で解決させたのだと思っていた。
もう大丈夫なのかもしれないと思っていたのだ。

「あ、赤司っち、その怪我……」

怪我も十分気になるけれど、それよりも目を引くのは、金に近い色となっている目だ。

「目、どうしたんですか」
「まあ、ちょっと色々あって」
「まさかあいつか?な、なんて恐ろしいやつなのだよ……」
「いや、俺が悪いんだ。それに視力が落ちているわけでもないから」

色の変わった目を手のひらで覆いながら、ははっと赤司君が乾いた笑いを漏らした。その目はどこか夢見ているように歪んでいる。
この一年で、一体何があったのか。きっと聞けば赤司君は教えてくれるだろう。惚気話でもするように少しだけ照れたような顔つきで、きっと楽しそうに笑って話をするのだ。その内容が異常なことだと彼は気付いていないのだろうか。中学の頃は越えることの無かった一線が、保たれていたものが崩れていくのが見える。

「赤司君、君は今、幸せなんですか」

顔を青褪めさせたままの僕らに赤司君は何か恐ろしいものの滲む柔らかい微笑を見せた。

「ああ、幸せだと思うよ」
東雲君とこのままいれば、きっといつか取り返しのつかないことになるとしても」
「ああ」

心底彼が好きだと言う顔で、目で、赤司君は言った。

「もう、心中する覚悟くらいは出来てるよ」

花を踏み荒らす道を踏み外す

rewrite:2022.05.20 | 全編加筆修正、これにて「心中」完結となります。