01
※赤司と幼馴染はずっと一緒にいたい話


赤司君が亡くなってから、七日が経った。
原因の分からない赤司君の突然の死は様々な人に大きな衝撃を与え、多くの人は悲しみに暮れていた。悲しんで涙を流し、彼の思い出を語り合い、そうして少しずつゆっくりと傷を削って“思い出”へと変えていく。僕たちだってきっとそうしていくのだろう。
けれどそうした者たちの中で、彼だけが違っていた。
彼は、赤司君のただ唯一であった工藤君は、まるでその傷を一生残さんとするかのようにまだ血の止まらないそこに何度も何度も、繰り返し鋭い刃を突き立てているのだ。痛くないはずかないのに淡々と、涙など一滴も流さず。彼は己の愛する片割れを喪ったあの日から一度も、ただの一度も泣いていないのだ。
見る者を凍らせるように冷ややかな、けれど傷だらけで痛々しい平坦な表情ばかり浮かべている。

「やっぱり泣かないですね」
マトちんが泣かないのは、まだ受け入れられてないからでしょ」

僕のささやかな呟きに、同じように彼の横顔を見つめていた紫原君が静かに返す。
学生時代、一度は道を分けた二人を誰よりも心配し、そしてまた共にいることを選んだ二人の幸せを誰よりも願っていた紫原君は、今や跡形もなく崩れてしまった二人の世界に悲し気に目を伏せていた。

「赤ちんの中での中心がマトちんだったみたいに、マトちんの中心も赤ちんだったからね。マトちんの中じゃまだ、あの日で止まったままなんじゃないの」

どうにかしたいけれど、どうにも出来ない。本人自身がきちん折り合いをつけて飲み込むしかない。痛そうに眉を寄せながらそう言い、紫原君は工藤君から目を逸らす。
ずっとそこに留まり続けるのは、どれだけ精神を擦り減らすのことだろうか。紫原君はきっと彼に前へ進むことを願っているだろう。けれど僕は、きっと彼はずっとそこに留まっているのではないかと思う。
工藤君は、赤司君を心底愛していた。否、きっと今も愛しているし、この先もずっとそうだろう。だから彼は飲み込みなどしないだろう。折り合いなど付けず、その血の止まらぬ傷を死ぬまで抱くのだ。

マトちんじゃなかったら、他のヤツ相手だったら無理矢理にでも引っ張って、前向かせてたり背中押したり出来たけど……今のマトちんにそんなことをしたらさぁ」

その先が音になることはなかったけれど、紫柄君が何を言おうとしていたのかがわかってしまった。己の命すら投げ出してもいいと思える程、彼ら自身にとってお互いの存在は大きく重い。僕たちには何も出来ないのだろう。ただ彼が刃を突き立てるのを見つめながら、どうか彼が赤司君の後を追いかけることの無いよう祈るしかないのだ。
ああ赤司君、貴方はどうして、この人をおいていってしまったのですか。
変わらず何の感情も見せない乾いた工藤君の眼差しは揺るがない。それがあまりにも悲しくて、痛々しくて、遣る瀬無かった。


* * *


赤司っちの初七日の法要を終え、ひとりそのまま帰ろうとしていたマトっちを見つけて思わず声を掛けた。

「ね、マトっち、これからちょっとご飯食べに行かない?」

明日は仕事があるだろうし、そうじゃなくても断られるのだろうなと思っていたけれど、彼は拍子抜けするほどあっさり頷いてくれた。
最近よく行く居酒屋のカウンターに並んで座り酒を飲んでからふと、マトっちとこうして酒を飲むが大学生以来だと気付いた。
大学生時代はよく俺たち俺と黒子っちとマトっちで飲みに行って、赤司っちが迎えに来ていた。一番酒に強い黒子っちに付き合って俺もマトっちもがんがん飲むから大体いつもベロベロで、赤司っちは困ったように笑いながらまた飲み過ぎて、と少しだけ窘めるのだ。
迎えに来た赤司っちにぺったりくっついて甘えて、それに満足するまでマトっちが腰を上げないから俺と黒子っちはよくさっさと帰れバカップルって文句を言っていた。懐かしいな、ほんの数年前なのにこんなに遠く感じる。
社会人になってからは皆忙しくて、マトっちとは飲みに行けていなかった。連絡は取っていたけど、翌日も仕事だということが多くて断られてばかりだったのだ。でも偶にする電話ではやっぱり赤司っちの話ばかりで、相変わらずバカップルしてるんだなって思っていた。
隣で幾つ目か分からないグラスを傾けていたマトっちが、ぼんやりとその横顔を見つめていた俺を見返す。

「なんだよ黄瀬」

どうした、と小さく笑いながら首を傾げた。酔いに薄っすらと赤く染まった目尻と相まって、彼からは得も言われぬ色香が漂っている。
半身を喪ったこの人は、以前にも増して、いや昔とはまた違った美しさをみせるようになった。あの人と一緒に色々なものを落としてしまったのかもしれない。だからこんなにも綺麗で、脆いのだ。
きっと、この人にその気はなくてもその果ての無い薄闇のような、空虚で悲しい美しさは人を狂わせる。
くらりと視界が眩んで目を閉じた。中学生のときに埋めた想いが、ゆっくりとその身を擡げようとしている。大事な友人の、一等大切な人だからとずっとずっと深くに押し込んだ感情が、今までよりもずっと強く凶暴に奥底で蠢いていた。
もういいんじゃないのか、もう我慢しなくても、遠慮なんてしなくてもいいんじゃないのか。悪魔のように甘く優しく訴える声に誘われるまま、色付いた頬に手を伸ばして、触れる。
あの頃は触れることすら出来なかった彼に、今、触れている。滑らかであたたかい感触が伝わってきて、沸々と、

「黄瀬?」

戸惑うように揺れた瞳に、ハッとした。俺が望むような色など何一つ浮かべていない瞳に、すっと頭の奥が冷えていく。
俺は一体何をしているのだろう。

「あは、ちょっと酔ってるみたいっス」

無理矢理誤魔化して笑えば、困ったような顔をしていたマトっちもカウンターに肘を突いて「潰れる前にやめとけよ」と笑った。
その時、店内の照明を受けて何かが彼の胸元で光るのが見えた。ネクタイの緩められた首元から細いチェーンが覗いている。それに気づいて、ぐうっと胸が痛んだ。
あれは、あの先にあるのはペアリングだ。高校生の頃、二人お金を貯めて随分奮発して買ったと言っていた、将来結婚式は上げられないけれどその代わりにと言っていた、随分重たい二人の大切なペアリング。あの約束を彼はまだ守ろうとしているのだ。一生、お互いしか愛さないだなんていう高校生の頃に交わした幼い約束を、まだずっと、きっとこれから先も。
彼の首に繋がれた鎖のきらきらとした細かな光にたまらなく泣きたくなった。いなくなっても決して離さないなんて、本当に、酷い人だ。

あなたを揺らす天秤の錘

rewrite:2022.04.07