※主人公でません
久しぶりに会った中学時代からの友人の手袋の下から現れた指が、不自然に一本だけ無いことに気付いてしまった僕の気持ちを考えてみてほしい。
「あの……聞いても良いのか分からないのですが、あの、その指……どう……?」
なんらかの事故や怪我で失ってしまったのだとしたら良い。いや、良くはないのだが、僕の心情的にはそちらの方がまだ良いという話だ。
希望的観測でもって怪我ですか、という顔をしてみたがそれが絶対に怪我や事故ではないということは分かっていた。直感というか本能というか、無い指の場所が“左手の薬指”だからというか、彼の恋人が常々ヤベーと思っていた人間だからというか。
友人、赤司君はもうすっかり傷口も塞がって滑らかになった薬指の付け根をちらりと見てから、曖昧に笑って「指輪がほしいって言われて」と言った。
「……なんて?」
「薫に、指輪がほしいって言われたんだ」
「それと君の指がどう関係するんですか」
「俺の指で指輪をつくりたいって」
「こッ」
怖!!と叫びそうになった口を咄嗟に塞いでドン引いた顔をした僕に赤司君はまた曖昧に笑った。
「大学卒業と同時に籍を入れたのは伝えてただろう?その時にまあ指輪も買っていたんだけど、やっぱり欲しい指輪があるって言ってね」
「……いや、いやぁ、赤司君……」
「買った指輪も付けてくれてるんだ。まあ俺は付けられないからネックレスにしてるけど」
ははは、と笑ってから平然とした顔で「注文はどうする?」とメニューを広げる赤司君が何か得体のしれないモノに思える。赤司君が東雲君と付き合いだしてから、引き摺られるように彼の感覚が狂っていくようには感じていた。
暴力を愛だといって、異様な束縛を愛だといって、傍から見ればどう考えてもおかしいことも愛故と片付ける。それを赤司君もはじめはおかしいと感じていたはずなのに、気が付けば飲み込み受け入れていて、それが当たり前のような顔をしていた。
僕らが何を言ったところで意味はなく、彼らは二人だけの閉じ切った異様な世界にいってしまったのだ。
まあそうなっても、僕たちに対する赤司君の態度やなんかは変わりがなく、安否確認の意味も兼ねてずうっと交流を続けていたけれど。
「黄瀬君はいよいよハリウッド進出らしくって」
「へえ、凄いじゃないか。じゃあ次に会ったときにはサインをもらっておいてくれ」
「調子に乗りそうなんで嫌です」
「はは、相変わらず黄瀬に厳しいな」
最初のあの何とも言えない空気も時間と共に消え失せ、お互いや周りの近況を伝え合う和やかな空気となったころ、酒がすすみ酔いの回った僕はついつい聞いてしまった。
「それで、指輪になったんですか、君の指は」
聞かなければいいのに、やっぱり怖いもの見たさの心理というのだろうか。猫をも殺す好奇心が些か強い傾向にある僕は耐え切れなかったのである。酔いも回っていたというのも大きい。
赤司君は一瞬キョトンと目を丸めてから頷いて笑った。
「なんか、随分立派な物になっていたよ。ほら、遺骨をアクセサリーにしたりするやつがあるだろ?あんな感じで……ほら、これ」
赤司君が差し出したスマートフォンの画面には、薬指に草花のような模様が彫られた華奢な指輪をはめて嬉しそうに笑う東雲君が映っていた。
「うわ、言われないと絶対分からないですね」
「似合うだろ?まあ痛かったけど嬉しそうだったし、肉は薫が食べて爪もなんか大事に持っててくれてるみたいだから、」
「は!?」
「わ、吃驚した。なんだいきなり」
「こ、こっちが吃驚しましたけど!?」
酔いも一気に醒めてしまうようなことを聞いた気がする。
「今なんて言いました……」
「え、薫に似合うだろ?」
「その後です」
「ああ、肉自体は薫が食べてたよ」
「何……赤司君は豚や牛だった……?」
「人間だが」
「人間が人間食うのは極限状態でもない限りそう起こり得ないことなんですよ、何平然としてんですか……君の恋人は猟奇犯罪者か何かですか」
「こら」
「いやこらとか言われましても」
「別に平然としてるわけじゃない。当時は痛いし訳が分からないしどう考えてもどうかしてると思ったけど、『ずっと征十郎くんと指絡めて繋いでるみたい(はーと)』て可愛い顔で言われたらまあいっかって思うだろう」
「思わないですよ」
「暇さえあれば眺めてにこにこしてるんだ、可愛いだろう」
「それが普通の指輪でしたらね」
なんだか現実のことではないような気がしてきて、一度深く息を吐いてからまた酒を一口飲む。
スリラー映画やホラー小説の中の出来事のようで、ドン引きというか本当にヤバイ人種なんだなという思いはあるが、恐怖感は薄い。実際に東雲君に会っていないというのもあるし、赤司君が元気そうだからというのもあるだろう。
「いや待ってください、爪大事に持ってんですかあの人」
「なんかこう、小さいケースに入れて持ち歩いてるよ。中学の時のも一緒に入れてるみたいで」
「なんで嬉しそうなんですか」
「自分のものだったものを大事にしてくれるのは嬉しくないか?」
「それが普通にただの物でしたらね。というか、今更ですけど不便じゃないんですか」
「んん、まあ初めの頃は大変だったよ。上手く力が入らなかったりもしたし」
「へえ……」
「まあ今はそういうのもなんとかなってるし、慣れればどうとでもなるよ」
「それ以上減らないといいですね」
「はは、そうだな」
東雲君の場合、次何かをするとしたら指ではなく足だとか腕だとかに行くのだろうな、と想像できてしまう自分がひどく嫌だ。
常軌を逸した人間と毎日過ごせば少なからず自分にも影響が出てくる。今後赤司君がどうなっていってしまうのか心配ではあるが、それ以上に恐れもある。
赤司君と近くも遠くもない稀に会って食事をするくらいの、誕生日にお祝いの言葉は言うが特段プレゼントなどはない距離感の旧友、という位置にいるお陰で東雲君からは今のところ何の接触もないが、これがいつ何時彼の琴線に触れてしまうか分からないのだ。触れてしまったらどうなるのかはその時の彼の怒り度合いにより、僕が知っているのは、大学時代に赤司君に付き纏い全治半年の怪我で入院した男である。
このまま度合いが過激になっていくようなら、僕たちはもう赤司君と会わない方が良いのだろう。
「また次も飲みに行ければいいですね」
「そうだな」
赤司君は親指で無くなった薬指の付け根撫でながら、僕のいわんとしていることなど何もかも分かっているような穏やかな顔で笑った。
「次は薫も連れてこよう」
「あ、それはやめてください」
彼を目の前にして正気を保っていられる気がしないから。
真秀とインプリンティング
rewrite:2022.10.24