「最近、妙な夢を見るんです。夢の内容はいつも同じで、今日で何度目かもうわからない。
夢の中は毎回夕暮れ時で、決まって屋上にいるんです。屋上に僕は誰かと一緒にいて、その人の顔は影がかかっていて、口元しか見えないので誰なのかわかりません。でもそれは知ってる人なんです、誰だかわからないけれど、知っているんです。
……その人はいつも最初、僕に背を向けて立っていて、風にあおられているのか不安定にゆらゆら揺れているんです。それがなんだか、すごく怖くて。
それからゆっくり、その人は僕の方を向く。その人、白いカッターシャツを着てるんですけど、それが真っ赤なんです、夕陽とかじゃなくて、もっとドス黒い、多分血なんですけど、それで酷く汚れてるんです。そして、何か抱えている。何だろうって目を凝らしても、よく見えない。
するとその人、言うんです、『取り返したよ』って。それから抱えた何かを僕へ差し出すんですけど、よく見えない。その人は『これで、幸せに暮らせるね』って優しい声で言いました。言って、一歩僕の方へ近付く。それで、その手にあるのが何なのか、やっと見えるんです。それ、それは子供なんです、それも多分産まれて間もない赤ん坊で、ぬらぬらと何かを纏って光っている……、
僕はびっくりして、そうしたら血が、血が、地面にぽたぽた落ちていくのが見えました。彼は怪我なんてしてないんです。だからどこから出てるのかなんて、考えなくても分かってしまいました、赤ん坊です。赤ん坊はぐったりとして、ぴくりとも動かない……死んでるんですよ。
全身を覆い光っていたのは、血だったんです。その血がどこから出てるのかはわかりません、どこもかしこも血だらけで、多分彼のシャツが赤いのもそのせい、なんでしょうか。僕は怖くて動けなくて、受け取ることなんて出来ない。
動けないで黙って見てる僕にその人、『どうしたの』ってまた一歩近付いて来るんです。近付いて、それで、それで、『ほら、あなたとの子だよ』って、笑うんです」

自分たち以外誰もいなくなった教室に淡々と響いていた声が止む。
真っ青な、ひどく血色の悪い顔をしたチームメイトは、そこでやっと息をついた。ただでさえ白い顔は、今や紙のようである。そのまま息と共に魂までスルリと抜けてしまうんじゃないか、と思ってしまうほど目の前の男は弱り切っていた。

「それで、この前、見たんです。……いや、いたんですよ。あの……火神君は、D組の蘭馬という人、知っていますか」

それまでじっと机の木目を数えるように俯いていた黒子テツヤが、不意に顔を上げた。
疲れ澱んだ水色は焦点がずれていて、一体何処を見ているのかよくわからない。その眼差しにじめじめとした怖れを感じながら、出された名前の人物を記憶の中に探す。

「……あぁ、あの人形みてーな奴だろ?」

脳裏に生命を感じさせない芸術品のような顔が浮かんだ。噂などに疎い自分でも名前と顔が一致する、口内でも有名な男子生徒だ。いつも一人でいて、この世界に足がついていないような、浮遊しているような妙な恐ろしさがあるやつ。
そいつがどうしたというのだろう。まさか、その男が夢の中の人だなんていうのではだろうな、と火神大我は口元を引き攣らせた。

「火神君の思っている通りですよ」

火神の表情から何を思ったのか読み取った黒子が、心底疲れ切ったような覇気のない声でぼそぼそと肯定する。

「彼だったんです。直感しました、夕方に廊下を、夕陽を浴びながら歩く彼を見つけたとき、彼が夢のあの人なんだって。彼は僕に背を向けて、不安定にゆらゆら揺れながら歩いていました。揺れるその背が丸きり夢と一緒で、そう思ったら怖くて、はやく、はやく帰ろうと思いました。でも足が動かなかった。そんなところまで夢と一緒なんです。それから、」

がらり、と何処か遠くで音がした。多分、ドアの開閉音だ。
部活動をしている生徒しか残っていないような時間だが、一般生徒が居残りでもしていたのだろうか。

「それから、彼は急に足を止めて、振り返りました。……彼のシャツは、白かった。右手に鞄を提げているだけで何も持っていない。所詮夢は夢でしかないんだ、て思いました。でも安心出来ませんでした。違う気がしたんです、夢は夢でしかないけれど、」

何処かの教室のドアが開く音がした。

「あれは、僕が見ていたものは、夢なんかじゃなかったんです」

黒子がそう言った途端、ぱちぱちと教室の一角を照らしていた蛍光灯が明滅した。
それに驚き息を息を呑んだ火神は、教室内の空気が変わっていることに気付いた。どろりと濁った沼のような気持ち悪さと冷えがゆっくりと満ちていく。
この先は、これから先は聞いてはならない気がする。否、最初から聞いてはならなかったのだ。先程から悪寒のような嫌なものが全身に纏わりついている。何故俺はこんな相談を受けてしまったのだろう、と火神は心底思ったが今更後悔してももう遅い。
何処かで教室のドアの開く音がした。

「彼は言いました。『取り返したよ』って。『あなたとの子、取り返したよ』って。おかしいですよね、僕は彼のことは知っていましたが、親しいわけではない。況して恋仲ですらないんだから有り得ないんです。それに、彼も僕も男だ。男同士で子供なんて、つくれるわけがないでしょう」

何処かの教室のドアが開く音がした。その音は段々と近付いている。まるで探し物でもしているかのようだ。
順々に扉を開いていって、確認する―――想像の中でドアを開けている人間は、蘭馬の顔をしていた。

「でも、いるんです。確かにいるんですよ、僕と彼の、子が」

ぱちりと隅で明滅を繰り返していた蛍光灯が力尽き、教室の一角が不自然な暗闇に沈んだ。
放たれた言葉は火神の中でゆっくりと噛み砕かれ、理解を促す。そしてその顔からだんだんと血の気が引いていった。

「彼は笑っていました。何度も、僕が夢で何度も見たことのある笑みでした。彼、言ったんです、『これで、幸せに暮らせるね』って。それを聞いたらもう、僕は怖くて、すごく怖くて逃げようと思いました。でも、足は動かないんです。そうしている内に、彼が一歩近付いてきて、それで、」

隣の教室のドアが開く音がした。

「それで、」

怯え震えだした黒子は、救いを求めるように焦点の合わない瞳を彷徨わせる。

「ああ」

そして窓の外へ目を向け、嘆息した。恐怖の滲んだその目に一体何が見えたのか、追いかけるように窓の外へ視線をやっても、それらしきものは何も見当たらない。ただ気味が悪い程赤々とした夕焼けが広がっているだけだ。
目の前のチームメイトは何処かを見つめ、震えている。
教室のドアが開く音がした。

絶え間なく抱えきれない花束は萎れる前に手放さなくては

rewrite:2022.03.22