俺のかわいいかわいい恋人である大和は気高い百獣の王みたいな見た目と雰囲気を持っているくせに、中身は傷付きやすくて繊細なとってもか弱い子鹿ちゃんだ。ちょっとしたことですぐに凹んで、鮮やかなピーコックブルーの瞳をうるうると潤ませる。まあ、それは恋人である俺の前でしか見せない姿なのだけれども。
というのも、皆の前にいるときの大和の表情筋はぴくりともしないからである。基本的に極悪な不機嫌面か冷たい無表情で、少々威圧的な話し方も相まって俺様会長様なんて呼ばれ恐れられているくらいだ。
でも大和がかわいい子鹿ちゃんだって知っている極々少数の人にはバンビなんて勝手にかわいいあだなを付けられて呼ばれていたりしている。大和はやめろと嫌がるけれど、バンビという響きが可愛くって俺もこの呼び名が好きだ。
そんな俺と同じくらい格好良くて、でも誰よりも最高にかわいい俺のバンビちゃんが、頬を赤く腫れさせて唇の端に血の塊をくっつけ部屋へやって来た。
「キャーーーーッ!!!ど、ど、どうしたんスかそれ!!だ、誰!?誰にやられたんスか!?お、俺のかわいいバンビちゃんが!!!!!」
俺を見上げるその目には今にも溢れそうなほどの涙が湛えられ、酷く傷付いた色をしていた。きゅっと結ばれた唇は少し震えていて、ここまで必死に耐えてきたのだろうことが窺い知れる。
「とりあえず座って!」と慌ててソファへ座らせて手早く湿布と絆創膏を貼り、ぴったりくっつくように俺も隣へ腰かける。くたん、と寄り掛かってきた大和の髪を撫でキツく握りしめられていた震える手をそっと開かせて、安心させるように指を絡めるようにして繋ぐ。途端、大和の目から今まで我慢していた涙がほろほろと落ちてきた。
その泣き顔にうっかりきゅんきゅんしてしまいながらも、ぽつぽつと語られる大和の話を聞くにはこうだ。
今日もいつも通りたった一人で生徒会の仕事を片付けて、風紀委員長の赤司っちのとこに書類を届けに行った帰り、渡り廊下で偶然転入生たちに鉢合わせてしまった。非常識でクソ忌々しいことこの上ない公害転入生に酷い言い掛かりで散々罵倒され、転入生にくっついていた役員共にもありもしないことで罵倒され、それは違うとちょっと反論したところ転入生の馬鹿力で思い切り頬を殴られた、というのである。
仕事をしないどころか逆に仕事を増やす、役立たずにも程があるド低能害悪役員共のせいで肉体的にも精神的にも参ってきちゃっているっていうのに、更に追い詰めるような真似をするだなんて許せるわけがない。許せるわけがないのだ。俺のかわいいかわいいバンビちゃんを傷つける者には、死あるのみ!死すべし!死すべし!
「うんうん、よく我慢したっスね、よしよし」
「……ん」
「紅茶飲む?この前苺の買ったんスけど、淹れてこよっか?マトっち好きそうなやつっスよ」
「……うん」
せっせと零れる涙を拭っていたハンカチを大和の手に持たせ、もう一度頭を撫でて濡れた頬にキスしてからキッチンへと向かう。緑間っちに美味しくて大和のお気に入りだと教えてもらったメーカーの新作フレーバーティーを淹れていると、がちゃんと玄関の戸が開く音が聞こえてきた。
俺と同室の黒子っちが帰ってきたのだ。黒子っちは大和がバンビちゃんだって知っている数少ないお友達の一人である。ちなみに風紀委員長の赤司っちと副委員長の緑間っちも知っている。赤司っちと緑間っちは大和の幼馴染で、俺と会うまでは二人が大和の支えとなってくれていたのだ。
「ああ、やっぱり来てたんですね、黄瀬君の“子鹿”さん」
共同スペースのソファに腰かけている大和っちを見ながらそう言った黒子っちに、あれ、と疑問がわく。
蜂蜜を少し垂らした紅茶を手に大和の元へ戻りながら、彼の向かいに腰を下ろした黒子っちに「やっぱりって、知ってたんスか?」と問いかかけた。その声色が若干キツくなってしまうのは許してほしい。
「まあ見てましたからね」
「見てたぁ!?じゃあなんで止めてくんなかったんスか!黒子っちサイテー!出てって!」
「うるさいですね。資料室にいたので遠かったですし、下手に僕が出ていって子鹿さんが泣いてしまった方が大変かなと思ったんですよ」
「はあ!?な、泣かないっスよ、黒子っちの前でなんて!ね、マトっち!ね!」
「……わかんない」
「わ、わかんないのぉ……?そん、そんなに黒子っちの信用度あがってたんスか?いつ?全然知らなかったんスけど……」
「まあ黄瀬君が忙しい時とかによく一緒にお昼食べてますしね。それと赤司君に今回の件報告しておきました。もしまだ詳しい話を聞いてなければ彼から聞いてください」
「ああ……」
黒子っちの登場で若干追いやられていた苛立ちやら殺意やらがぶり返してくる。隣でちびちびと紅茶を飲んでいる大和を見ると少し落ち着いたのか、まだ目元は潤んでいるが涙は止まっていた。なら少し、ここは任せても平気だろう。
まだしっとりとしている大和の頬を撫でてから、黒子っちに「ちょっとバンビちゃんのこと見てて」と言って赤司っちに連絡するために自室へと入る。きっちりドアを閉めて、自分を落ち着けるようにゆっくりと息を吐いた。そうでもしないと今すぐにでもあの肥溜めの蠅野郎どもをブチ殺しに行ってしまいそうだ。
今確実に大和には見せられない顔をしているだろうな、と思いながら、スマートフォンを操作して電話を掛ける。待っていたのか、ワンコールもしない内に繋がった。
『遅かったな、涼太』
「赤司っち、今すぐ庶務の弟の方と一発ヤッてみたいっていう男、教えて欲しいんスけど。それと副会長みたいなのが好みのじいさんと、肉体改造が好きな変態もできれば」
『それは僕の管轄外だよ。そういうのは高尾か氷室さんの方が詳しい。彼らの情報網はえげつないからね』
「高尾って放送委員っスよね。緑間っちと同クラの」
「ああ。仕事用の連絡先は真太郎が知っているからそっちに掛けた方が話は早いだろう」
「了解っス。氷室さんって美化委員長の人だっけ?」
「ああ。火神の幼馴染らしいが僕の名前を出した方が優先的にやってくれるだろうから、あとで番号を送っておく。僕の方からも連絡を入れておくからなるべく早めにお前も入れろ」
「はーい」
『で、詳しい話はしておいた方が良いか?』
「できれば。知っておいて損はないっスよね」
『まあそうだな。どこまで聞いてるか知らないが、』
赤司っちが黒子っちから聞いたという話はこうだ。
風紀に書類を提出した帰り、大和は渡り廊下を歩いていた。生徒会室から風紀室までは少し遠く、その行く途中で大和は転入生一行と鉢合わせたのである。
まず転入生が大声で叫び、それから大和の名前を呼んだ。ビックリして足を止めた大和のところまで走ってきた転入生はその勢いのまま、「お前!最近ずっと生徒会室にセフレ連れ込んでんだろ!こいつらが仕事できないって言ってたぞ!駄目だろそんなことしちゃ!」と言った。大和はなんのことかさっぱりわからず、黙っていたようだ。
そこから大和は仕事をしていないだの、問題ばかり起こしているだの、セフレばかりで不潔だの、そんな奴は生徒会長に相応しくないだの、皆そう思っているだの、無いことばかり論え役員たちと寄って集って大和を責め立てた。
随分とデカい声で喚いていたようで、窓を開けていれば丸聞こえだったようだ。きっと黒子っち以外にもこの話を聞いていた連中はそれなりにいたはずである。
転入生たちの話は大和にしてみれば身に覚えのないことばかりだし、きっと転入生たちの言っていることの半分も理解できなかっただろう。きっととってもかわいいキョトンとした顔をしていたに違いない。
大和は彼らの発言に対して、そんなことやっていない、てめーらじゃあるまいしと返したらしい。
その途端、転入生も役員共も更に怒り、転入生が自分の非も認められないなんてサイテーだ!と思い切り大和の頬を殴り飛ばした。転入生の馬鹿力で加減なく殴られた大和は当然床に倒れこんだ。きっとこれも、何がなんだか分からなかっただろう。大和のことだ、とりあえず信じられないくらいとても痛い、と思っていたのではないだろうか。
そのまま更に、そんなんだから友達もいないだの、皆に見捨てられるだのごちゃごちゃ言った後、すっきりしたのか転入生たちは去って行った。その後大和は若干ふらつきながらも立ち上がり、一度短く息を吐いて、何事も無かったかのように歩き出したらしい。
頬は赤く腫れたままで、転入生たちの言葉も刺さったまま、きっとなんてことない顔をして生徒会室に荷物を取りに戻って、俺のところへ来たのだ。
最早怒りのあまり頭痛さえしてくる。
『と、いう感じだったらしい。さて、どうする?』
「どうもこうも、死なせてくれって言わせるだけっスよ」
『はあ、真太郎もそうだがお前は大和が関わると随分と過激になるな』
「誰だって大事なもんに手出されたらこうなるでしょ。緑間っちは何て?」
『「全員豚の餌にしてやるのだよ」』
「あは、じゃあ最後はそうしてもらうのもいいかもっスね。じゃ、赤司っち、連絡先ちゃんと送ってね」
『ああ、わかってるよ。ほどほどにな』
通話を切って間もなく、赤司っちから氷室さんの、伝えてくれたのか緑間っちから高尾クンの連絡先がきたので手早く二人にメッセージを送る。自室を出て黒子っちに礼をいえば、「何かあれば僕も手伝いますので」と頼もしい言葉もいただいた。
協力者は充分だ、あとはもう、さっさと全てを片付けて綺麗にしてしまおう。
まあひとまず、泣き疲れてソファで眠ってしまった大和をベッドへ運んでから。
楽園の裏表紙
rewrite:2022.03.25