東雲を突き飛ばしたのは、ほとんど反射のようなものだった。音が聞こえ、何か光るのが見え、それが何であるかなど黒子テツヤは分からないままに本能的に東雲を庇ったのだ。
どん、と衝撃のようなものを胸部に感じて見てみれば、銀色に光る棒が体から生えている。それはなかなか妙な光景であった。
一瞬自分の身に何が起きたのか理解できず、火神大我の声を聞きながらその棒を見ていれば、じわじわと赤黒い模様が上着に浮き上がってくる。そこでようやく事態を飲み込んだ頭が痛みを伝え始め、黒子はよろめき倒れ込んだ。
火神に支えられながらも大丈夫だと言おうとするが、どう見ても大丈夫ではない。自分でもそう思うくらいだ。
痛みと熱に、は、と短く息を吐く黒子を火神が青ざめた顔で覗いている。
「案外中るもんだなー」
がさがさと音を立てながらこちらへ向かってきたのは、クラスでもわりと仲の良い部類であった高尾和成だった。席が近い時は他愛もない雑談を交わし、冗談を飛ばし合うこともあった同級生が、今悪意に満ちた顔で笑っている。
片手に握られたボウガンの矢が、今自分の胸に刺さっているものなのだろう。
「な、、そう思わね?」
ちらりと斜め後ろを振り返り見て高尾は心底嬉しそうにそう言う。だがそこには誰も、何もいない。
同級生と命のやり取りをし合うというこの異常な状況下で、精神に異常をきたしてしまったのかもしれない。そうなってしまうのも当然なのかもしれない、そう思いながらも同級生の変わりようが恐ろしくてならず、黒子と火神は動けずにただ高尾を見ていた。
「ご機嫌いかが、東雲ちゃん」
高尾の悪意に満ち満ちた笑みに、黒子はますます混乱していった。
もともと高尾はあまり東雲が得意ではないようだったが、こんな
誰にも会わず、人を見ても逃げていたと東雲は言ってけれど違うのだろうか。
「……最悪だよ、ほんと最悪」
黒子の隣にしゃがみ込んでいた東雲は、何の感情も見えない顔でその胸に刺さる銀の棒を見つめながらそう返した。
何時になく色の無い、凪いだその声に黒子はハッとした顔で東雲を見やる。はじめて見るような東雲のその顔に黒子は驚き、それから何か背筋がすうっと冷えていくような心地がした。
何か、とても恐ろしいものが目の前にあるような、そんな心地がしたのだ。
「なあどうする?東雲も撃っておくか?……そうだよな、その方が真ちゃんも喜ぶよな」
“誰か”と話をしてハハ、とまた高尾が笑う。
「もうめちゃくちゃだ」
ぽつりと独り言のようにそう言った東雲は立ち上がると、上着のポケットへ仕舞い込んでいたワルサーP99を取り出すとさほど狙いもせずに引き金を引いた。高尾までさほど距離はない、弾が切れる前にどれかは中るだろう。
高尾は一瞬きょとんとした顔をしてから、すぐにボウガンを構えたが東雲の撃った弾のどれかが身体を掠めたのかその顔を歪め一歩後退った。左太腿辺りがじわじわと赤く染まっていく。
東雲はそれを見ると銃を投げ捨て踵を返し、黒子の肩からずり落ち地面に転がっていたサブマシンガンを拾い上げて構えた。
「東雲!」
恐れを多分に含んだ火神の声など聞こえていないように、東雲は引き金を引く。
ぱらららら、とタイプライターにも似た軽やかな音と共に高尾の身体が踊るように跳ねて地面へ転がって行った。操り人形のようにくしゃりと地面に崩れた高尾に東雲は近寄ると、ぼうっと見開かれた高尾の目を覗き込んだ。
もうどこも見ていない目を見つめ、それから東雲はその顔へ銃口を向けた。
銃弾が顔を抉る度、微かに頭が跳ね動く。
それは悍ましい、ただただ吐き気のする悪夢のような光景であった。
X X X
あの時、ドアの側まで到達できたことが幸いだったのか、赤司征十郎は倉庫内で起きた爆発から逃げ延びることが出来ていた。死を免れることは出来たものの、無傷とはいかない。
ドアと共に倉庫外へ吹き飛ばされた際に飛んできた幾つかの鉄片が、ざっくりと右の二の腕と太腿を切り裂きあちこちに細かな切り傷をつくっていったのだ。
転がるように林の中へ逃げ込み、気休め程度にしかならない止血を施すと赤司はすぐに移動することにした。今の爆発音で誰かが寄って来るとは思えないが、万が一人が来ても今は正面切って戦えるような状況ではないからだ。
これからは不意打ちで仕掛けていかないと満身創痍のような今の状態では勝てる見込みが低いだろう。
ぼろぼろになってしまったデイパックから地図とペン、方位磁針を取り出しポケットへ仕舞うと赤司は銃弾の数を確認した。先程の撃ち合いで随分と使ったからもう残りは少なく、もし銃が使えないとなればもう軍用ナイフしかなくる。そうなる前に誰かから頂戴できればいいけれど。
うんざりとした溜息をひとつ吐いてから、林の中を南へ、時折木々に手を付きながら赤司は出来るだけ速く移動していく。酷い痛みにどうしたって歩みが止まりそうになる。それに失血のせいか頭がくらくらとしていた。
農協の建物が見え始めたところで赤司は一度足を止めた。息が上がっている。ここにきて今までの疲労がどっと押し寄せてくるようだった。
その場にずるずると座り込み、木に凭れ掛かる。身体はひどく疲れ切っていて、もうこのまま眠ってしまいたい気分だった。
けれどそうもいかない。あとどれくらいなのかは分からないが、まだ同級生は残っているのだ。
兄のもとへ帰るにはそれを全部片付けなければいけない。今すぐ立って、少しでも人を減らさなければ。そう思うのに、体は重く動かない。
「……クソ、」
ぐ、と歯を食いしばりなんとかまた立ち上がる。ふらふらする身体を木に靠れ掛からせていると、視界がちかちかして音が遠のいていった。恐らく貧血症状だろう、随分と血が流れていたようだし。
吹き出す汗を不快に思いながら木に凭れたまま症状が収まるのを待っていると、そう遠くない場所から誰かの気でも狂ったような笑い声と叫び声が聞こえてきた。
なんとなく、聞き覚えがある。けれどそれが誰であるか考えるだけの余裕が今はない。
ようやっと視界が安定しまたゆっくりと移動を始めた時、今度は発砲音が聞こえて来た。立て続けになったその音は、少しの間を置いて連続したものになる。
その銃声に一瞬青峰かと赤司は足を止めたが、すぐに違うと思いなおす。青峰はあの場で死んでいるはずだ。たとえ死んでいなくとも、重症で動けないはずである。
また別の、サブマシンガンを支給された誰かがいるのだ。
「(どうするか)」
今の状態では勝率は低い。物陰から狙える位置に居れば別だが、相手が複数で銃も複数ある場合は殺される確率の方がはるかに高くなるだろう。
ここで考えていたって仕方がない。黙ってここに居てもいずれ動けなくなる。
ひとまず様子だけでも見てみよう、と赤司は音の方へと進んで行った。
X X X
本当に、何もかもめちゃくちゃだ。笑えてくるほど最高に最悪で、全くなんてことをしてくれたんだろうと東雲はもう誰だか分からない顔に溜息をぶつけた。
ぼうっとぐちゃぐちゃのそれを眺めてから、東雲は痺れた腕を動かしてもたもたと空になったマガジンを外し黒子のもとへ戻っていく。
「テツヤくん、ごめんね、使っちゃって」
蒼褪めた唇を震わせている黒子の顔を覗き、「痛い?」と東雲は問い掛けた。目の前に座り、色の悪い頬を撫でると水色の瞳はしきりに瞬きする。
怯え切ったその顔に首を傾げながら、東雲は笑った。
「もうすぐで終わるから、ちょっとだけ我慢しててね」
東雲は転がっていた自分のデイパックから、仕舞い込んでいたCz75を引っ張り出した。
「本当は、高尾が来なければ、僕とテツヤくんが最後までずーっと一緒に生き残って、」
安全装置を外し、グリップをしっかりと握って銃口を向ける。
その先には凍り付いたように目を見開き東雲を見つめる火神がいた。
「最後に、どっちかが相手を殺すはずだったのに。僕、テツヤくんになら殺されても良いって思ってたんだ」
白い指が引き金にかかり、二度、もうすっかり聞き慣れてしまった破裂音が辺りに響く。
自分支えていた手が消え、背後でした重たいものが落ちるような音を黒子はただ震えながら聞いていた。
「テツヤくんなら、自分が殺した人のこと、絶対に忘れらないでしょ?何かにつけて僕のことを思い出すんだ、あの時自分が手に掛けた、恋人だった僕のこと」
すうっと下げられた銃口が、黒子の胸に押し当てられる。
「ほんと最悪だしめちゃくちゃになっちゃったけど、でもテツヤくんが死ななくて本当に良かった」
うっとりと目を細め甘ったるい笑みを浮かべるその目があまりにも恐ろしくて、目の前にいるのが誰なのか分からなくなる。
確かにあまり性格が良いとは言えず、他者に対して非情な一面があることは知っていた。でもそれ以上に愛情深く、友人や恋人をなによりも大切にし、他者に傷付けられるのをとても嫌う人間であると思っていたのだ。
実際、東雲はおおむねその通りの人間である。だが一点だけ、黒子は勘違いをしていた。知らなかったと言っても良いだろう。
東雲は大切なものに他人が手出しすることは嫌うが、自分が傷付け壊す分には構わない、そう考える面を持っていたのだ。
「テツヤくんのこと、絶対に忘れないからね」
大好きだよ、と言った声は、愛情を惜しみなく伝えてくれるときと同じ優しくて柔らかな声であった。
X X X
恐らく銃声の聞こえて来た辺りから話し声が聞こえ、赤司は動きを止めた。木に身を隠すようにして見れば少しだけ開けた空間があり、そこに誰かがいる。
何とか乱れた息を落ち着かせて霞む目を凝らす。
三人だ。一体何があったのか、手前側に倒れていた男子生徒は執拗に銃で撃たれており顔も判別出来なくなっていた。
一人はこちらに背を向けているが、その向こうに見える水色の髪は黒子のものだろう。その黒子の後ろにいるのは火神のようで、であれば恐らくこちらに背を向けているのは東雲だ。
教室でもいつもあの三人は共にいることが多かったから、今回も三人で行動していたのだろう。
何を話しているのかと目を伏せ集中したところで銃声が二度聞こえてきた。顔を上げてみれば火神が倒れている。
仲間割れか、それとももともと東雲の計画していたことか。まあどちらにせよ、人が減るのならば何だって構わない。
「テツヤくんなら、自分が殺した人のこと、絶対に忘れらないでしょ?」
うっとりとした、夢見心地の声を聞きながら、赤司はゆっくりと東雲たちへと近付いていく。
確実に仕留めるためにも、今の状態でも狙い撃てる位置まで行かなければいけない。
じりじりと近付いていく間にもう一発。黒子がずるりと地面へ倒れ込んだのが見えた。東雲は座り込み、黒子を見ている。
今しかない。
誰か分からない死体の横に辺りでぐっと足に力を入れ赤司は銃を構えた。ここならまだ十分に狙える距離だ。
じっと狙いを定め、ゆっくりと息を吐いてから赤司は引き金を引いた。鋭い破裂音の後ぐらりと前方の東雲の体が揺れる。もう一度撃てば黒子に重なるように東雲が倒れていった。
重い体を引き摺るように、赤司は銃を構えながら動かない東雲へと近寄っていく。
まだ息があるのか、小さな呻き声が聞こえてきた。じわじわと白い上着に包まれていた背が赤く染まっていく。このまま放っておいてももう間もなく死ぬだろう。
東雲の手から落ちたのだろう銃を拾い上げる。何発入っているか分からないが、無いよりはいいはずだ。
また雑木林の方へと歩いていた赤司の耳に、プロペラ音のようなものが聞こえてきた。見れば、上空をヘリが飛んでいく。
もしかして、と思っていれば島中に三度目の騒々しいチャイム音が鳴り響く。
『生存者一名となりましたので、只今を持ちましてプログラムを終了といたしまぁす!今回はなかなか――』
あの神経を逆撫でするような声がまだ何か話していたが、赤司にはもう聞こえていない。
終了の言葉と共に糸が切れたように力が抜け座り込んだ赤司の頭には、やっと兄に会えるという喜びと、今すぐ熱い風呂に入りたいという願いしかなかった。
心臓を模した獣たち
2022.09.25