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工藤大和 屍人ノ巣 / 第一層付近
2003年8月5日 / 7時35分48秒

随分と頭がすっきりと冴えている。牧野と離れてから約一日、記憶が途切れたのは道中で宮田に遭遇したその時一度だけだ。あの意識の途切れと記憶の穴は、やはりあの男に関係していたのだろうか。だとするのならば、もう共に行動など出来ないし、したくもない。
ちらりと横目で会いたくない男と同じ顔を見て、大和は少しだけ唇を歪める。どうしてだかずっと胸騒ぎがしているのだ。あちこちをすり抜け、壊し、下りて上った先、しっかりと舗装され白線の引かれた道路が見えだしてから嫌な予感がしている。ふ、と見上げた先にぼうっとした仄赤い明りが見えた。

「ミヤタ、あれ何の明かり?」
「……多分、信号機だと思います。もし途中で崩れていたりしていなければこの先は上粗戸の中央交差点に繋がっているはずなので」
「交差点……」

足を止めた大和に気付き、数歩先で宮田も足を止める。
この先に行っても良いことはない、そんな気がしてどうにも足が進まない。大和はじっと遠くに浮かぶ明かりを見つめた。

工藤さん、どうかしましたか」
「なあ、この道じゃなくて向こうからまわろう」
「どうして」
「ヤな感じがする」

大和の直感があたることをこの短時間で思い知っていた宮田は素直に頷き、来た道を引き返そうとした。
その足元を、背後から滑るようにしてきたぼんやりと丸い明かりが照らす。宮田の持つ懐中電灯は大和の方を照らしているし、大和はそもそも懐中電灯を持っていない。
ならば?

「やっぱりここに来ると思っていました」

革靴がアスファルトを叩く音が数回、暗闇に溶け込むような黒いカソック、浮かぶ疲労で青褪めた白い顔。
宮田の背後から現れたその男の澱んだ目がこちらを見て、歪な笑みを見せる。逃げなければいけない。瞬間的に大和が足に力を入れたその時、何かの吐息を首筋に感じて、それから急激に意識が遠のいていった。


* * *


宮田司郎 屍人ノ巣 / 中央交差点
2003年8月5日 / 7時42分44秒

目の前で崩れ落ちた大和に宮田は悲鳴染みた声でその名を叫んだ。

「大丈夫ですか!何が……、」

駆け寄り抱き起し、それから背後から現れた男を振り返り見る。薄ら笑いを浮かべた自分と同じ顔が底冷えのする目でこちらを見つめていた。

「やっと見つけました、随分捜したんですよ。一体何処に居たんですか?」
「……この人に何をしたんですか」
「何もしていませんよ、見ていたでしょう?」

近付いてくる牧野から守るように大和の体を抱え込んだ宮田に、牧野は不愉快そうに眉を寄せた。宮田の元にいる、そう思っていたけれど実際に目の当たりにするとやはり不快で仕方がない。なんだってこの人はいつもこの男の元に行ってしまうのだろう、こんな男よりも自分のほうがずっとずっと彼に尽くしているのに。
はあ、と苛立ちを含んだため息を吐いて「手を離してください」と牧野は宮田を睨みつける。

「何度も言いますが、その人は貴方が触れて良いような存在ではないんです」

ずっと握りしめていたそれを、真っ直ぐに宮田へと向ける。

「私の言っていることがわかりますか?早く手を離してくださいと言ってるんです。彼が穢れてしまう……」
「……随分と物騒なモノをお持ちですね、求導師様。撃つんですか?俺を」
「ええ」
「求導師様ともあろう方が人殺しなど……神に背く行為なのでは?」

強く大和を抱き込んだまま、宮田は哂った。きっと目の前の男は何の躊躇いもなく撃鉄を起こし引き金に指を掛けるだろう。だとしてもここでぐったりと意識を失っている大和を手放したくは無かった。
恐ろしい男だ。身の内に悍ましいなにかを飼い、人を平気で奈落へと突き落とす。そのくせ人好きのする笑顔で親し気に距離を詰めて、いつの間にか沼底から救いあげていく。この男と共にいてはいけないと分かっていても、離れることなど、手放すことなど出来ない。だってずっとずっと一緒にいたのだ、他の誰でもない自分自身が。

「神に背く行為……?いいえ、いいえ!これは儀式ですよ、神の完全なる目覚めのための神聖な儀式となるんです。良かったですねぇ、宮田さん、貴方は愛する人の役に立てるんです。これほど嬉しいことは無いのではないですか?ねえ?」

狂ったような引き攣った笑い声をあげ、それから牧野はまた一歩宮田へと近づいた。
この距離ならばきっと外さない。たとえ外して大和へ当たったとしても、彼はこれから神として目覚めるのだ。何も問題は無い。牧野は高揚感に荒れた熱い息を吐きながら、強く握りしめ宮田へと向けた拳銃の撃鉄を起こし、引き金に指を掛けた。

「さよなら、宮田さん、私の弟……どうか安らかに」

―――銃声。

Do you faith me?第十譚 終わるもの


牧野慶 屍人ノ巣 / 第一層付近
2003年8月5日 / 8時20分29秒

杭を打ち込むたびに衝撃で縛った体が揺れる。それが嫌がっているように見えて、牧野は笑った。
周囲に飛び散った血に何かが混じっている。蠢き、陽炎のようにゆらゆらと不確かに揺らめき消えてしまいそうな、そんな幻覚染みたものがみえた。それが何かに吸い込まれるように消えていき、それから静かに、しかしはっきりと息を吸い込む音が背後から聞こえる。
は、と牧野は杭を打つ手を止めて背後を振り返り、横たえられた男へ駆け寄った。
鼻をつく血の臭いと、腐敗臭。濃く立ち込める死の匂いがじっとりと纏わりついてくる。
睫毛が震え、それからゆっくりと持ち上げられて鮮やかな瞳が姿を現した。爛々と、それ自体が発光でもしているかの如き不吉な煌き。その奥で蠢くものが身を擡げ、こちらを覗き込んでいた。

「“いい子”はお前だな、慶。どこで見つけたんだか、ふふ、ほんとに馬鹿で可愛いね、お前は」
「あぁ、嗚呼、私の神様……」

恍惚とした顔で身を起こした男へ縋り付き笑む牧野の頭を、ひんやりとした手が撫でる。

「もう絶対に置いていかないでくださいね」

引っかかりはもうすっかり無くなってしまった。もう牧野が愛でていた彼は飲み込まれてしまったのだろう。それは悲しいことだし、残念だと思う。だがそれ以上に、これから先ずっと自分を愛でてくれる存在を手に入れたことが胸のうちを満たし途方もない幸福感を齎していた。
ずっとずっと、死ぬまでずっと、彼のただひとつの“特別”として傍に置かれ、寵愛を賜るのだ。なんと甘美なことだろうか!

「慶、いい子のお前は俺の言うことを聞けるよな?」
「はい、なんでも……」

仰せのままに、私の神様。
2020.12.21 | これにて「R.I.P.」は幕引きとなります。ここまでお付き合いいただきありがとうございました、少しでも楽しんでいただければ嬉しいです。