大和!」

自分の大声にハッと目を開け飛び起きる。その勢いのまま枕の横に置かれた端末を手に取って大和へと電話を掛けようとして、赤司はふと手を止めた。
広い和室にぽつりと敷かれた布団の上で赤司は呆然と辺りを見回す。本邸でも、京都にある別邸でも、祖父母の家でもない見知らぬ、けれど何故か妙に見覚えのある和室。瑞々しい花々が活けられた床の間に、障子からは柔らかな日差しが差し込んでいる。
戸惑いの拭えないまま赤司は手にした端末で大和へ連絡を取ろうとしたが、画面は真っ暗なまま反応しない。電源ボタンを押すがバッテリー切れなのか画面は暗いままだった。
ざわざわと不安が背を撫でていく。
と、こちらへ向かってくる足音が聞こえた。真っ直ぐ向かってくる足音に赤司が布団を抜け出したのと同時に障子に影が映る。
ふとその光景に既視感を覚えた。前にも確かこんな和室で目を覚まして、足音がして、それから現れたのは、

「あ、おはよ。起きてたんだな」
大和……」

いや違う。大和じゃない。
赤司は室内に這入ってきた男から一歩後退った。冴え冴えと輝いて見える底なし沼の瞳。それに覚えがあった。

「あは、かわいい」

弓なりになった捕食者の目にぞっと背筋が冷える。
夢だ。
まだ自分は夢の続きにいる。

「そんな怯えられると傷付くんだけど。ま、とりあえず飯食おうぜ。母さんが張り切って作ってんだよ」

おいで、と言われて、そんなつもりはないのに足が勝手に動く。

大和……」
「ん?」
「夢の中で出されたものは食べない方が良いと言っていたな」
「ああ、征十郎の場合はな」
「ならば俺は食べられない」
「食わねーの?」
「ああ」
「どして?」
「これが、夢だから」

パッと振り返った男は至極愉快そうな笑みを浮かべていた。

「俺のこと置いてくの?」
「ああ、お前は俺でなくてもいいだろう」
「俺に来て欲しがってたくせに」
「なに……」
「俺がいたら、俺だったらって考えてただろ。本当に俺はいらない?」

幼子を見るような優しい眼差しと甘く濁った声に、ゆっくり思考が滲んでいくような感覚を覚えた。じわじわ侵食してくる。それがどこか心地よいと思う自分が恐ろしくて、赤司は咄嗟に目を逸らした。

「征十郎」
「俺は、」

―――選ばなくちゃいけない時は、俺のことを選んで

ふと耳の奥に、睦言でも囁くような甘く蕩けた声が蘇る。

「俺は、お前を選ばない」


* * *


誰かに強く揺さぶられ赤司は目を開けた。

「ああ、起きた、良かった……」

薄汚れたカーキ色のシャツが視界に入った。埃っぽい空気はあの廃屋によく似ており、まだ夢の中にいるのだということを知らしめてくる。

「大丈夫?」
「ああ……」

覗き込むようにしてこちらを窺う同年代であろう青年に頷き返しながら、赤司はぐるりと周囲を見た。薄暗くてよく見えないが、崩れかけの物置小屋のような場所にいるようだった。

「あのさ、大和って人とはぐれたりした?」

赤司の手を引き立たせながら、青年はそう尋ねてきた。

「え」
「あ、当たり?」
「知ってるのか」
「さっき、って言っても結構前だけど会ったんだ。その顔的にせいじゅうろうって君だろ?」
「そうだが、顔?」
大和がさ、顔面の戦闘力が凄い高いって言ってた」
「なんだそれは……」
「あと宇宙一のスパダリだって」
「忘れてくれ……」
「あはは」
大和がどこにいるかは」
「ごめん、分かんないんだ。でも折角君を見つけたし一緒に捜そう」
「いいのか」
「もちろん。でも俺も人を捜してるから一緒に捜してほしい」
「ああ、もちろんだ、ありがとう」
「こちらこそ。あ、俺は須田恭也、よろしく!」
「赤司征十郎だ、よろしく」

じゃあとりあえずここから出よう、という須田の背を追って赤司は小屋から出た。
木の板やトタンで出来た通路や壁、時折見える家らしきものはまさしく違法建築といった風情で、どこがどう繋がっているのか分かりづらい。明かりがほとんどないため余計に迷路めいている。
こんな中で本当に大和を見つけられるのだろうか、と不安が過る。
ここにもゾンビのようなものが徘徊しているらしく、あまり大きな音は立てない方が良いと言われてしまったために大和の名を呼び捜すことも出来ない。大和がどこかでじっとしていれば見つけられる確率は上がるだろうが、向こうも動き回っているとなれば偶然出会うことも難しいのではないか。
須田の捜し人の話を聞きながらも赤司の胸中には不安と恐怖が渦巻いていた。
手を離してしまえばもう二度と大和は現実に戻れない、そんな気がしていたからずっと、それこそ死ぬ気でその手を掴んでいた。けれど今赤司の手は何にも触れていない。
手は離れてしまった。そして今、大和がどこにいるのかも分からない。
じわじわと体温が下がっていくような心地になる。もう二度と大和に会えないのではないか、会えないまま自分だけが目覚め、現実に戻ってしまうのではないか。そんな思いが消えない。

「あれ?」

時折何かを確認するように立ち止まってはいたがすぐに歩きだしていた須田が、とうとう足を止めた。辺りをきょろきょろと見回し、何かを考えでもするかのように目を閉じる。

「何かあったのか?」
「いや、何もないんだ」
「え?」
「さっきまでうろうろしてた奴らの視界が皆真っ暗になってる……あっ」
「何だ」
大和かも!」

ぱっと目を開けた須田が笑顔で赤司を見る。
何をもってそう確信したのか赤司にはてんで理解出来なかったが、赤司が返事をする前に須田はもう駆け出していた。

「今声が聞こえて、多分大和の声だ」
「ほんとに?」
「そう!多分こっち、さっき見た看板の前に居たから……」

あ、と声を上げたのは須田と赤司、両方だった。
立入禁止、と書かれた錆びて半ば朽ちかけている赤い看板の前に大和が立っている。片手にぐにゃぐにゃに曲がった鉄パイプを握りしめ、今まさに打ちのめしたのであろう異形のモノが足元に蹲っているが、その顔は赤司がずっと捜していた大和のもので間違いない。
うわ、と言って少し仰け反り足を止めた須田とは反対に赤司はそのまま大和へと駆け寄った。

大和!」

は、とこちらへ顔を向けた大和が大きく目を見開き、それから飛びつくように駆け寄ってきた赤司へ抱きつく。その際に蹲った何かを勢いよく踏みつけていったことを須田はしっかりと見てしまった。

「征十郎、よかった」
「会えてよかった、怪我はないか」
「うん、征十郎は?」
「何ともない」

ぎゅうぎゅう抱き締めてくる大和の背を撫で、その体温に心底赤司は安堵した。

「っず、勝手にどっか行くなよ、ばか」
「ごめん」

大和も安心したのか泣き始めてしまい、声はぐずぐずの鼻声になっている。よしよし、と背や頭を撫でたところで赤司は背後に須田を置き去りにしていたことを思い出した。
ひしっと抱き着いて離れない大和を半ば引き摺るようにして、「すまない」と謝罪しながら須田のもとへ戻る。

「やあ全然……なんか大和って凄いね……」

看板の前だけではなく転々と散らばるように地面に丸くなった何かがある。それらは全て大和の鉄パイプによってぼこぼこにされたモノたちであろう、と須田は気付きちょっとばかし顔を引きつらせた。

「須田、征十郎見つけてくれてありがと」
「どういたしまして」
「俺からも礼を言うよ、本当にありがとう」
「はは、ちょっと照れるな」
「そだ、さっき女の子に会ってさ。これ、須田に」
「女の子……?」

少し赤司から身を離した大和がポケットから土偶のようなものを取り出し、「小学生くらいの子が、『ミヤちゃんが渡してって言ってた』って」と言いながらそれを須田へと差し出す。

「ミヤちゃんって美耶子……?」

少し震える手でそれを受け取った須田は、すぐにハッと辺りを見回した。

「今、」
「なんだ?」
「ごめん、ありがとう!俺行かなきゃ!」
「え、須田?」
「二人とも気を付けて、またね!」

話を聞く間もなく、須田は大和から受け取ったものを握り締め走って行ってしまった。

「ミヤコって捜しているって言ってた子だ」
「そなの?」
「ああ、大和を一緒に捜すからその子のことを捜す協力してほしいって言われてて」
「ふうん、行っちゃったけど」
「何か分かったのかもしれないな」
「会えるといいけど」
「そうだな」
「あ~安心したらなんかすげぇ疲れた」
「どこかで休むか。て言っても休めるような場所あるのか此処……」
「あっちにあんま崩れてない家はあった」
「じゃあとりあえずそこに行こうか」


* * *


「俺さぁ、朝起きてこんなに安心したのはじめて」
「俺もだ」
「ちゃんと全部夢だったね」
「ああ」
「なんかすっげぇ長い夢だと思ってたけどいつもと同じ睡眠時間だった」
「何日も夢の中にいた気がしたけどな」
「うん。なんかこんまま夢ん中にずっといんのかなって思ったし」
「ああ……」
「途中で征十郎どっか行っちゃうし」
「それはごめん」
「あれってどこ行ってたわけ?」
「お前じゃない大和の家」
「えっ」
「でも何も無かった」
「絶対嘘」
「何もされてないよ。ただ少し話をしただけだ」
「……」
「多分俺はもうあの大和に会うことはない気がする」
「なんで」
「俺が向こうを選ばなかったから」
「……じゃあもし、征十郎がそっち選んでたらここにはいなかった?」
「どうなんだろうな」
「……良かった」
「俺がお前以外を選ぶわけがないだろう」
「え~~~~好き……」
「あははっ」
「超好き……」
大和って結構ベタなの好きだな」
「征十郎だから好きなんだよ」
「あ、そう……」
「照れてる」
「うるさい」
「んふふ」
「あ」
「なに?」
「答えたくなかったらいいんだが、あの医者の頭、なんで急に殴ったんだ」
「あ~……うーん、あれね……」
「言いたくないなら言わなくてもいい」
「言いたくないわけじゃねえけど、うーん……なんて言ったらいいんかな、なんか、そうしなきゃいけない気がして」
「え?」
「あの医者の奴と神父の奴、どっちかしか居ちゃ駄目っていうか」
「どっちか」
「うん。どっちもいたら終わんないし、ほっといたら征十郎に手ぇ出しそうだったからそうなる前に片付けとこうっていうか……」
「……」
「なんていうか、俺にはいらねぇなって思って」
「……そうか」

夢の終わり

2023.11.06 | SIREN発売20周年おめでと~~~!