気付けば大和は赤司と共にどこかの建物内に立ち尽くしていた。つい先ほどまで廃屋の中にいたと思ったが、しかしそれも“いつの”つい先ほどなのか分からない。どこからが夢でどこからが現実なのか曖昧になりつつあるように、ここでの時間感覚も曖昧になりつつある。
何もかもが曖昧で分からないことばかりの中、大和にとっては右手でしっかりと握った赤司の手のあたたかさだけが頼りだった。赤司と一緒にいれば大丈夫、何の根拠もないけれど確かにそう思えるのだ。
「征十郎なんでライト持ってんの」
「分からない。気付いたら持ってた」
「流石夢ん中、都合が良い」
「まあ夢なんてそんなものだろう」
「今度はどこかな、ここ。ドア超錆びてるしまた廃墟か」
「病院だ」
赤司の持つ懐中電灯の明かりがドアの上部を照らした。そこには第二病棟と白い字で書かれた朱色のプレートが貼られている。反対側のドアには第一病棟と書かれていた。
「人気の心霊スポットじゃん」
「人気か?」
「映画の心霊スポットは大抵病院だろ」
「ああ……」
「どっち行ってみる?」
「とりあえず第一病棟の方から行こう。開くか?」
「開かなかったらぶち壊しゃあいいんだよ。力こそパワーだってよく言うだろ」
「よく言う……?」
「俺の周りはよく言ってる」
「理解した」
「お、開く」
ゆっくり、と言いかける赤司の言葉など聞こえていない大和は勢いよくドアを開けた。思っていたよりもスムーズに開いたドアは壁にぶつかり鈍い金属音を響かせる。静かな建物内にその音は思った以上に響き、二人は動きを止めた。
二人揃って耳を澄ませる。
こちらへ向かってくるような物音は何も聞こえない。懐中電灯で辺りを照らしてみたが怪しい影もない。そこでようやっと二人は息を吐いた。
「急に開けるな、何かいたらどうするんだ」
「あ~許して」
「ごめんなさいは」
「ごめんなさい」
「許す」
「んふふ」
ドアの先にはまた階段と、ドアが並んでいる。目の前のドアは金属で、左手奥には木製のドアが二つ。明かりに照らされた木製ドアの上部にはそれぞれ女子便所、男子便所、と書かれていた。
「ここは何も書いてないな」
「あ、征十郎」
「うん?」
「見て」
大和の指さす先を赤司は照らした。朱色のプレートに右矢印と共に白字で『看守室 隔離室』と書かれている。
一度顔を見合わせてから矢印の差す先、トイレの奥にある金属製のドアを二人揃って見つめ、それからまた顔を見合わせた。
「隔離病棟系のホラゲこの前やったよな」
「そうだな」
「……出てくると思う?」
「出て来ないことを祈ろう」
「武器が懐中電灯って心許無さすぎる」
「この建物からは離れた方が良いかもしれないな」
「外もヤバいかもしんねーけど」
「どこかで外の様子も確認しないとな……」
「何階か分かんねーし一回下降りてみる?」
「そうだな」
建物内は不気味なほど静まり返ったままで、何の気配もない。それに対して言いようのない恐れを抱きながら二人は階段を下りて行った。
下りた先にも上の階とあまり変わらずドアがいくつもあり、特にこれといった表示は無い。
「マップが欲しい」
「分かる。トイレ以外のドアがどこに繋がってんのか分かんないの怖すぎ」
「開けていいのか判断しにくい」
「武器も無いしな。あ、ここにも非常ベル。なあ押してみていい?」
「あ、こら」
押してみていい、と尋ねながらもうすでに大和の指は非常ベルのボタンを押し込んでいた。廃墟であろうこの場所にある非常ベルなど壊れているであろう、そう思っていた大和の予想に反して辺りには非常ベルの音が盛大に鳴り響く。
あ、と悪戯に失敗した子供のような顔をしてこちらを見る大和に頭痛を覚えながらも、赤司はベルの音に紛れて微かに聞こえた物音にハッと顔を強張らせた。女性の悲鳴のような声と、こちらに向かってくる慌ただしい足音。
何かが来ている。それが“正常な人間”であるかどうかなど足音だけでは判断できない。
「大和、走るぞ」
同じように音に気付いたのだろう、同じく強張った顔をした大和の手を引き今しがた下りてきた階段を赤司は駆け上がった。背後で金属のドアが壁にぶつかる音が聞こえる。
赤司はそのまま開け放したままの渡り廊下のドアをくぐり、第二病棟へ繋がるドアノブを回した。願い通りドアは開き、二人はその向こうへ真っすぐ走って行く。
「大和!」
聞こえた名前に二人ははたと足を止めてしまった。
今自分の名を呼んだ声は赤司のものではない。大和は赤司を見て、それから背後をパッと振り返り見た。
ばたばたと慌ただしい足音で階段を上ってきた何かを真っすぐ赤司の持つ懐中電灯が照らしだす。薄赤いもので汚れた白衣と右手に握られたネイルハンマー。その出で立ちはどう見てもホラーゲームに出てくるヤバい医者そのものである。
二人はさっと目を合わせるとすぐさま走り出した。
「待ってくれ大和!」
「やばいやばい何あれ」
「お前の名前を呼んでいるが」
「あんな知り合いいねーよ」
「……待て」
角を曲がり一直線に走った先にあった錆びたドアを抜けた先で赤司が立ち止まった。
「なに!」
「さっきの男の顔」
「あ!?」
赤司が再び懐中電灯で後を追いかけて来ていた男を照らした。短い距離ではあるが全力で走ったために肩で息をする男は少しばかり眩しそうに顔を顰めながらもゆっくりとこちらへ歩いてくる。
赤司は男の顔をじっと見つめながら「大和、あいつだ」と小さな声で言った。
「誰」
「神父みたいな男」
「えっ」
男は二人から少し離れた場所で立ち止まっている。襲い掛かってくる様子はなく、そこでようやく大和はまじまじと男の顔を見た。
少し寄せられた眉とこちらをじっと見つめてくる瞳、口元にぽつりとあるほくろ。違う、と大和は零した。よくよく似た顔をしているけれど、あの男と目の前の男は全く違う人間だ。どうしてか大和にはそう思えた。
「あいつとは違う」
「大和?」
「なあ、アンタ誰?」
何かに怯えるように強く赤司の手を握りながら、大和は男から目を逸らさずにそう尋ねた。男は眩しいものでも見るように目を細め、それから薄く笑んだ。
「宮田司郎だ」
「みやたしろう……」
「学生のお前がやって来るなんてはじめてだな。牧野さんが言っていたんだ、今までよりもずっと幼いお前が来たって。祈りすぎてとうとうイカれたかと思ってたが嘘じゃなかったようだ」
「……俺のこと知ってんの」
「ああ、よく知ってる」
宮田と名乗った男がうっとりとした顔で笑んだのを見た赤司は咄嗟に大和を背後へと庇った。
あの神父の男と雰囲気がそっくりなのだ。大和を神か何かのように崇拝し、そして恋焦がれている異様な熱を孕んだ空気がある。けれどきっと男たちの求めている大和は大和であってそうではない。大和も言っていたけれど、男たちの言う“大和”はきっとあの鳥居の向こうにいる大和だ。
宮田は立ち塞がるように目の前に立った赤司に一瞬眉を寄せた。不愉快そうな、害虫でも見る眼差しが赤司へと投げ掛けられる。
「はあ、牧野さんといいお前といい、」
「俺は何があってもアンタを選ばないよ」
宮田の言葉を遮るように大和はそう言った。何もかも撥ね退け遮断するようなそれに場が一瞬で静まり返る。
「俺はアンタの言う“大和”じゃない」
切り捨てる冷ややかで強い声にハッと赤司は大和を見た。真っ直ぐ宮田を見ている大和の目には何の感情も浮かんでいない。
一切の興味関心が窺えないその目に、宮田だけではなく赤司もまた動揺していた。いままで一度だってそんな眼、見たことが無かったのだ。
「俺に何を求めてんだが知らねぇが俺はアンタに何も与えない」
「やめてくれ、」
「俺に何を願って祈ったところで俺は何もしないし何も起きやしない」
「やめろ、」
「俺はアンタの神様でも何でもない」
「やめろ!」
あああ、と苦悶の声を零しながら頽れ頭を抱え出した宮田を黙って眺めていた大和は、一歩近付いて宮田の手から転げ落ちたネイルハンマーを拾い上げた。木製の柄をしっかりと握りしめる。それから何の躊躇いもなく振り上げ、
「大和!」
呆然と二人を見ていた赤司がハッとして手を伸ばしたがもう遅く、その手に触れる前に凶器は真っ直ぐ男の後頭部へ振り下ろされた。
夢の境目が曖昧になっていく夢
2023.10.15