あたりに木々が広がる光景にまた夢か、と思ったところで足を止めた。
夢の中でそれが夢だと気付く、所謂明晰夢というものを今までみた記憶は無い。いつも目覚めてから、ああ夢かと残念に思う、または夢で良かったと安心していたのに、今はこれが夢だと分かる。
いつだったか征十郎が言っていた『見た夢の記録を取っていると次第に明晰夢を見られるようになるらしい』という言葉を思い出した。何かに記録を取っていたわけではないが、毎回征十郎に話はしている。そのせいで明晰夢を見るようになったのだろうか。
何か出てきそうな薄暗い雑木林の中を細い砂利道に沿って足元に気をつけながら歩いていく。と、少し前に見慣れた背中を見つけた。

「征十郎」

征十郎の赤い髪は暗い中でもよく目立つ。
振り返った征十郎は、地蔵みたいなサイズの石像の前で立ち止まっていたようだった。

「何見てんの?」
「道祖神だ」
「どうそじん」
「守り神の一種だな」
「ふうん……」

所々削れたその像は随分と古そうに見える。

「村境や峠だとかにあって、外からくる疫病とか悪霊なんかを防ぐ神なんだ」
「じゃあこの先に村があるってこと?」
「あるいは『あった』か」

像の先は薄っすらと道らしきものは見えるが、木々や雑草に覆われほとんど獣道と言っていいような有り様だ。この先に村や集落があるとはとても思えない。もしくはこの道がもう使われていないもので、別の道があるのかもしれないけれど。
征十郎はじいっと薄暗い木々の向こうを見つめたまま動かない。

「行ってみる?」
「……これはある種の結界だ」
「うん」
「だから入らない方がいい気がする」
「じゃあこっち行ってみる?」

自分が来た砂利道を指せば、征十郎は少し悩んだのちに「そうしよう」と頷いた。
道の途中でこの夢が始まったから、俺もこの先に何があるのかはわからない。ただ道はあるのだから何かはあって、どこかには繋がっているのだろう。


* * *


「今日何にすんの?」
「サバかアジ……か、カレイ。大和は?」
「カツ煮定食」
「じゃあカレイの煮付けにしよう」
「前に征十郎のお祖母ちゃんが作ってくれた煮物すごい美味しかった」
「手羽元と大根の?」
「うん、卵も入ってたやつ。めちゃめちゃに美味しかった」
「それなんだが」
「うん?」
「実はレシピを教わった」
「えっっ」
「作れます」
「圧力鍋買います」
「あはは」
「材料も買うから作って~!」
「じゃあ再来週末にしよう。部活休みだから」
「やった~~~!!!前買った五穀米になるやつまだある?」
「いや、それは前全部混ぜて炊いただろう」
「そだっけ?じゃあそれもまた買ってく」
「わかった」
「そういや今日さぁ、なんかちょっといつもと違う夢みて」
「うん?」
「あの……明晰夢みたいなやつ?夢ん中でこれが夢だって分かってた」
「ああ、俺も見たな」
「今日?」
「うん」
「ふうん……」
「どんな夢だったんだ?」
「えーと、薄暗い森?林?みたいなとこ歩いてた。細い砂利道があって、そこをどんどん奥に向かって歩いてたら征十郎がいて」
「……」
「道の端にちっちゃい石像があって、なんだっけ、征十郎がそれが何か教えてくれたんだけど」
「……道祖神だ」
「それ、どうそじん」
「その先に行かない方がいいって俺は答えた」
「え、なんで知ってんの?」
「恐らく俺も同じ夢を見た」
「え?」
「……道祖神の前に立っていることに気付いて、ここが夢だって分かった時に大和に呼ばれたんだ」
「……」
「道祖神の話をしている時から嫌な感じがずっとして……だから先に進むか聞かれた時に断った」
「……あれって夢だったんだよな」
「夢だ」
「うん……」


* * *


『ごめん起こして……』
「いや、俺も起きたから」
『うん……あれって夢だった?』
「夢だ。俺は今自室のベッドの中にいるし、大和もベッドの中にいるだろう」
『でも俺も征十郎もあれが夢だって分かってた。それに二人同時に同じ夢をみたりする?この前の続きみたいな感じがしたし、なんか、……』
「……あれは夢だ。どんなに現実味があったとしても、実際にあそこに行ったわけでも居たわけでもない」
『うん』
「だから大丈夫だ」
『うん……遅くにごめん』
「いや、俺も電話しようと思ってたから気にしなくていい」
『ありがと。……はあ、なんかあんま寝れる気しない。征十郎はもう寝る?』
「多分もう今日は眠れないだろうから起きてるよ」
『じゃあこのまま話しててもいい?』
「ああ、大和が眠くなるまで付き合うよ」
『やだ~~~~~~さすがスパダリ宇宙一』
「とうとう宇宙まできたな」
『そういや征十郎に美味しい中華まんの店の話した?』
「聞いてないと思う。またクラスメイトか?」
『うん、飯口が先週行ったって言ってた店なんだけど、』


* * *


どこか湿ったような空気が漂う村内で、工藤大和は茫然と立ち尽くしていた。
またあの夢だ。一体これで何度目だろう。
夢の中で大和と赤司征十郎は少しずつ少しずつこの“村”に近付いて行っていた。はじめは村境の道祖神、その次に道祖神の少し向こう、ずっと向こうと進んでいき、つい二日前は木々の隙間から家々が見えた。あの古ぼけた道祖神が守る村だ。
何度も夢を見て、その度に大和は赤司へと電話を掛けた。そして同じ夢を見たことを確認し、あれが夢であることを確認し、現実としては何も起こっていないことを確認してきた。
だが今、大和はこれが夢ではないのではないかと感じている。夢だ、という意識がないのだ。
これは夢なんかではなく、現実なのではないか。今自分はベッドの中ではなく、この村に、この地に本当に存在しているのではないか。
すうっと血の気が引いていく感覚に一瞬足元がふらつきよろめいた。と、その体を支えるようにあたたかな手が優しく背中に触れた。

「大丈夫ですか?」

優しく穏やかな声に似つかわしい、柔和な顔立ちをした黒衣の男が大和を覗き込んでくる。

「ああ、顔色が良くありませんね……歩けますか?」

よく見れば男の服は神父の着るカソックに似ている。この小さな村のどこかに教会があるのだろうか。
現実逃避でもするようにぼんやりとそんなことを考えながら、大和は男に導かれるままに村の中を歩いていった。時折すれ違う村人たちは、みな男へにこやかに挨拶をし連れられ歩く大和にも挨拶をしてくれる。

「あの、ここはどこですか?」
「ここは××県の三隅郡にある羽生蛇村というところですよ」

きちんと聞き取れたはずなのに県名だけ靄がかかったように理解が出来ない。大和は男の後ろを歩きながら段々とやはりこれは夢なのかもしれないという気持ちになってきていた。
恐ろしいほど現実味があるけれど、これが現実だとすれば自分は一体どうやってここに来たというのだ。電車やバスに乗った覚えも無ければ、そもそも出掛けた記憶もない。ただいつものように赤司と電話で話をして眠りについた記憶しかないのだ。
そうして気が付けばここにいる。
これが夢ではないとしたら、あまりにも現実離れしたことがこの身に起きたことになるのではないか?

「大丈夫ですか?」

ぼうっと立ち止まった大和を振り返り見る男の顔はこちらを心配しているようだが、どこか喜色が見える。
大和は男の顔をじっと見つめた。気弱そうに少し下がった眉と穏やかな瞳、ぽつりとあるほくろ。どうしてか見覚えのあるように思える顔に大和は「どこかで会ったことはありますか」と気が付けば口にしていた。
男は途端にパッと顔を輝かせ、「思い出していただけたのですか」と包むように大和の手を握ってくる。

「私の知る貴方よりも随分と若いので驚きました、でもどれだけ若かろうとも貴方は貴方ですね、また私のところに来てくれたのですから。ああ、ずっとずっと待っていたんです、また私と一緒に過ごしてくださいますよね、ね?」

ぎゅうっと手を握りしめながら、迫る男の爛々とした眼はこちらを見ているようで見ていない。何か違うものを見ているようなその眼が恐ろしくて、大和は手を振りほどこうとしたがきつく握られた手はなかなか離れなかった。
もうこうなったら蹴り倒してでも逃げるしかないか、と大和の靴底がじりりと砂利に擦れた時。

大和!」

振り返り見れば、大和と男の来た道を駆け上ってくる赤司の姿があった。
やはり赤司もこの村に来てしまっていたのだ。大和がこの村の夢を見るときはいつだって赤司も同じ夢を見ていた。そして同じタイミングで目覚め、あれが夢であったことを互いに確認し合うのだ。大和にとって赤司がここにいるということは、今のこの場が夢であるという証明のようなものとなっていた。
目の前に来た赤司は大和の手を握りしめる男をじとりと睨みつけ、些か乱暴な手付きで男の手を払う。大和が振り払えなかったのが嘘のようにその手はあっさりと離れていった。
守るように大和の前へ立つ赤司の姿に、男はやんわりと目を細めてから「すいません、私の捜していた人に随分と似ていたのでつい感情的になってしまって」と言った。

「彼の具合が悪そうでしたので教会で休んでいただこうと案内していたんです。話している内にどんどん私の捜している人のように思えてしまって……本当にすいません」
「……そうですか。大和、具合が悪いのか」
「もう平気、征十郎いるし」

互いの手を握り合い身を寄せ合う二人を男は淡い笑みを浮かべながら見ている。
その黒々とした目の奥で一瞬何かが蠢いているように見え、大和は怯えたように一歩後退った。それから潜めた小さな声で赤司へ「離れよう」と囁く。

「もう体調も回復したようなので申し訳ないですがここで失礼させていただきます」
「道は分かりますか?」
「ええ」
「そうですか、お気をつけて」
「ありがとうございました。……行くぞ」

一応の礼儀として頭を下げた赤司は男の返事を聞く前に踵を返し、大和の手を引き駆け足気味に来た道を引き返していく。
遠ざかっていく二人の姿が見えなくなるまでじっと、男はそこに立ち続けていた。


* * *


『今日の夢、絶対いつもと違った』
「ああ、俺もそう思った」
『俺、最初夢じゃないかもしれないって思ったんだ。今回のこれは夢じゃなくて現実なんじゃないかって、俺は実際にあの村に居る気がした。征十郎に会ってやっぱ夢だって安心したんだけど』
「うん」
『あのさ……結構前にした結界壊す夢の話、覚えてる?』
「……森の奥の鳥居の?」
『うん』
「覚えてる」
『あの神父みたいな男が探してたの、あの鳥居の向こうにいた奴な気がする』
「どういうことだ」
『あの男の顔、なんとなく見たことあるような気がしてそう言ったらあいつ、思い出したのかって言ったんだ。ずっと来るのを待ってたって。それになんか、目が……』
「……」
『征十郎に言わなかったけど、鳥居の向こうにいた俺ってなんか変だったんだ。変っていうか、……なんていえばいいかな、目が、……暗いとこで猫の目見たら光るときあるだろ』
「ああ」
『それに似た感じに光って見えて、それでその目の奥でなんか、……何かいたんだ』
「目の奥に?」
『うん。上手く言えないんだけど、薄暗い部屋ん中で影が動いてる感じ……あいつの中に“何か”がいるような気がして、俺はそれがすごく怖かった』
「……」
『それと同じ感じがしたんだ、あの村にいた男の目』
「同じ……」
『全部あの鳥居の夢を見てからだ。俺があの時土を蹴飛ばさなかったら、腕を掴まれてなければこんな夢見てない。征十郎が一緒にいるのは俺があの夢を征十郎に話したから縁が出来たんだ。なあ、征十郎もそう思ってんだろ』
「……俺も話していないことがひとつある」
『なに?』
「鳥居の夢の話を聞いた日の夜、大和の夢を見たんだ」
『うん』
「夢の中で俺は霊的現象に悩まされてて、それをいつも大和が何とかしてくれる」
『お、除霊師的な?格好良いじゃん俺。強そう』
「はは、確かに強かったよ。見た目や中身はほとんどお前と変わらなかった。けど俺はお前が、夢の中の大和が怖くて仕方なかったよ」
『えっ』
「助けてくれる大和に惹かれていたし安心感もあったけど、それと同じくらい、俺はお前に怯えていた。何か得体の知れない存在に思えていたんだ、大和が」
『……』
「自分と同じ人間だと思えない時があった。時々、大和の目の奥で“何か”が俺をじっと見つめているような気がして、それが恐ろしくて堪らなかった」
『……』
「それと、夢の中の大和は神社の息子だった」

嫌なフラグが立ちつつある夢

2023.07.16