「一番にお前に伝えたかったんだ」

アルコールで頬を赤くした男が、結婚の報告をしながら心底幸せそうな顔で笑っている。

男、瀧川聖司と赤司征十郎は高校生の頃からの付き合いだった。同じクラスではあったが部活も委員会も違い、趣味嗜好も異なる二人が仲良くなったきっかけは、聖司が赤司の類まれなる才能に惚れこみ、声を掛けたことからだ。
バスケもテニスといった球技だけではなく、水泳や弓道など何をやらせても素晴らしい成績を残す。加えて頭脳明晰。そんな完璧な人間に興味津々といった様子で、きらきらと目を輝かせて話しかけてきた聖司に当初赤司は当たり障りのない対応しかしなかった。それが次第に柔らかなものになり、一年経つ頃には周囲からも二人は互いが一番の親友であると認識されていた。
実際、聖司も赤司のことを一番の親友で、一番大切な友達だと思っている。しかし彼は違った。彼は、赤司征十郎は聖司のことを心底愛していたのである。
赤司にとっての聖司は、いつだってきらきらと眩い太陽であり、心安らげるたったひとつの居場所であり、決して届かないところにある焦がれてやまない星のような存在であった。どんなに落ち込み心が折れそうになっても、聖司が隣で朗らかに笑って肩を叩き背を押してくれれば、それだけでどんな壁も乗り越えられたし、どんな道も進んで行けた。
聖司の一番近くにいるのは自分だと、赤司はそう思っていたのだ。ずっと、高校を卒業してそれぞれ別の大学に進学しても。
それが違うのだと突き付けられたのは、大学三年生の頃だ。別々の大学に進学しても彼らは頻繁に連絡を取り合い、都合がつけば遊びに行ったり食事をとったりと高校時代とさほど変わらぬ日々を過ごしていた。そんないつも通りのある日、聖司は赤司にはにかんだ笑みを見せながらも恋人が出来たと告げてきたのだ。
その日から、赤司征十郎の地獄は始まった。

「……相手は?」

聖司の恋人は、華奢で背の低い、可憐な女性であった。それなりに筋肉質で聖司とほとんど身長の変わらない赤司とは正反対の、ふわりとした少し控えめな笑顔が綺麗な女性であった。
二人の交際は順調に進み、心底幸せそうな顔で、時々聖司は赤司に恋人の話をした。赤司は黙ってそれを聞き、時たま求められればアドバイスをして、無邪気な笑顔で礼を言われては心の内に傷を作っていった。けれど赤司征十郎はただ黙っているような男ではない。密かに手を回し、付き合い始めて一年経つか経たないかという内に、二人の恋人関係を破壊せしめたのだ。それは何の証拠も残さない、完璧な所業であった。
当時聖司は甚く落ち込み、寝食もままならない様子にこれ幸いとばかりに赤司は聖司を自分のアパートへ引き摺り込み半ばルームシェアのようにして世話を焼いた。その時が赤司にとって一番幸福な日々であったと言っても良い。寝ても覚めても愛した男が自分の隣にいる……これほどまでに幸せなことはないだろう。
そのルームシェアは結局大学卒業まで続き、就職を機に聖司は赤司のアパートを出ていった。世話になった、すごく感謝してる、と照れたような顔で笑って、少し寂し気な顔でまた連絡するから飯に行こうな、といった聖司を赤司はもう一度アパートへ引き摺り込んでしまいそうになった。

それから三年、その間もそれなりの頻度で連絡を取り食事を共にとったりしていたが、一度も恋人が出来たと言う話題は上がらなかった。
それがここにきて突然、結婚。
頭が真っ白になって、今食べている料理が何で、どんな味なのか全く分からなくなってしまった。からからに乾いた喉から絞り出すように吐き出した声は不自然に掠れてしまっている。だが聖司はそんな赤司の様子になど全く気が付かずにへらへらと笑いながら「大学時代に付き合ってた子だよ」と言った。

「大学……別れなかったか?」
「そうなんだけどさ、会社入って少ししてから行った営業先で偶然再会して、それからまた付き合いだしたんだ」

あんとき、めちゃめちゃ赤司に世話かけちゃってさ、ちょっと恥ずかしいのと申し訳なさみたいなのがあって赤司に言えなかったんだけど……。
そう続けたられた言葉に、ぐうっと吐き気が込み上げてくる。なんだそれ。なんなんだ、それは。また、あの地獄のような日々が始まるのか?そんなの、そんなのってないんじゃないのか?
ぐっとグラスを掴む手に力が入る。気を抜けば自分が何をしでかすか分からなかった。
もう十分なのではないだろうか。もう十分我慢したし、耐えたし、飲み込んできたのだから、もういいんじゃないのか。
ふと赤司はそう思って、肩の力を抜くようにゆっくりと息を吐いた。息と共に何かとても大切なものも抜け出していってしまったような気がしたけれど、そのことに赤司が気付くことは無い。きっとこれからも永遠に気付くことはないだろう。


* * *


可愛らしい桃色のカードをもう一度見つめ、赤司はそっとそこに記された新郎の名前をなぞった。それから陶然とした瞳で、ゆっくりとそこに唇を寄せる。

「……聖司、お前は俺のものだよ」


* * *


結婚式当日、時間になっても一向に現れない親友である赤司の姿に、聖司は落ち込んでしまった。
返信用のハガキには出席と書いてあったから、早めにきて控室にでも遊びに来てくれるかと思っていたのだが姿は見えず、式が始まっても現れない。もしかすると急な仕事でも入ってしまったのだろうか。
ひとつだけ開いた席を思い、少し沈んだ気持ちになる聖司を置いて挙式はどんどんと進んでいく。讃美歌の斉唱と聖書の朗読が済み、誓約が始まった矢先、不意に教会のドアが開かれた。
ざわざわとした周囲のざわめきに聖司は振り返り、目を見開く。

「赤司……!」

来てくれた!幾分遅れはしたものの、ちゃんと彼は来てくれたのだ!
嬉しくて破顔した聖司はしかし、すぐに赤司の様子がおかしいことに気が付いた。席に向かうではなく真っ直ぐこちらに向かってくる彼は、あのいつもの悠然とした笑みを口元に携えている。けれどその目はどこか空虚で、何かがおかしかった。

聖司、結婚おめでとう」

目の前までやってきた赤司がその美しい顔に笑みをのせ祝いの言葉を告げてくる。ありがとう、と戸惑った声で返しながら、聖司は背筋が冷えていくのを感じていた。何か、すごく嫌な感じがするのだ。目の前の赤司から、尋常ではないものが漂っている。
聞いているだけでとろりと蕩けてしまいそうな甘い声で、まるで愛でも告げるように赤司は聖司へと語り掛けた。

「でも相手が違うだろう?昔からお前はどこか抜けていて、肝心なところで失敗したりするからな」
「……赤司、どうしたんだよ」
聖司、お前は俺のものだろう?いままでも、これから先も、ずっとお前は俺のものだよ」

うっとりするほど完璧に美しい、それゆえに破綻している笑みがある。すっと赤司の懐から抜き出されたものが何なのか理解する前に、パッと目の前に赤が散った。

運命の輪の交わらないところ

2019.03.23