彼は気まぐれで、我が儘で、絶対に傍にいてはいけないとわかるのに離れられない魔性じみたものを持っている。目を合わせて、少しだけ唇の端をあげる……ただそれだけで、彼に心を奪われた人間はただただ彼の命令を聞くだけの人形になってしまうのだ。笑顔といいきるには淡すぎる、けれど見るだけでくらくらして、ふらふらと近寄ってしまいたくなる“におい”が、思考を鈍らせ、正常な判断を出来なくさせる。
恐ろしい人間だと思っていた。
近寄らない方がいいだろうと、傍にいても利点なんてひとつもないと思っていた。
きっと卒業まで関わることなどないのだろうなと思っていたのだ。
「征十郎くん」
とろりとした甘さを含んだ声に、背筋がぞくぞくと震えた。この声で彼に名前を呼ばれると、いつも悪い予感がして腹の底がすうっと冷たくなる感覚を覚える。けれど同時に、この声で呼ばれるのは自分だけなのだと思うと言い知れぬ優越感と恍惚感もまた抱いてしまうのだ。
分かっている。僕はもう、彼の奴隷なのだ。
僕が愚かだと、己に不利益しか降らせない人間の傍にいるなど余程の痴れ者だと思っていた人間に、僕は成り下がっている。
こんなつもりじゃなかった。彼とは卒業まで、卒業してからも、きっとずっと関わらないと思っていたし、近寄ることもないだろうと思っていたのだ。なのにどうして、今僕は彼の足元に跪き、身も心も、何もかも捧げているのだろう。
「どうした、薫」
「あのね、征十郎くん」
薔薇色の唇が緩やかな笑みを象る。人を沼底へと引き摺り込む笑み、悪意に満ちた微笑みだった。破滅を呼ぶその顔に、僕は僕のこれからを悟ってしまった。
僕もまた、今まで彼の目の前で跪き、愛を乞い、心を捧げ身を削り、消えていった者共と同じ道を辿るのだ。
「人が燃えるときってすごい臭いがするって聞いたんだぁ」
「……そう」
「征十郎くん」
「……」
「僕、人が燃えているとこと、見てみたいな」
狂っているとしかいえない。彼は気が違えている。だのに、僕は、ただ頷くのだ、笑っていいよと返事をするしかない。僕は、彼の奴隷なのだ。
初めて彼を見たとき、これは僕のだって思った。艶々とした赤い髪も、強い意志を湛えて輝く美しい瞳も、白い肌も。
ともすれば精巧な人形のようにも見えるほど美しく整った顔立ちに、すらりとした手足と平均よりも高い身長の引き締まった体をもった、神様が丹精込めてつくったようなその人は誰からも愛され必要とされるような人間だった。誰もがそこに含まれる意味は違えど彼を欲しいと思うだろう。そう感じるほど、彼はこれ以上ないほど完璧で、素敵だった。
「征十郎くん、だいすき」
人のほとんどやって来ない山の近くの川辺、僕は川から少し離れたところに置いたキャンプ用の簡素な椅子に座ったまま、立ち尽くす征十郎くんに笑む。僕に頭を垂れる者が見ればうっとりとするだろうその笑顔に、彼も笑みを返してくれる。けれどその笑みは、強張り引き攣っていた。
コンビニで売ってる百円ライターを握る手が少しだけ震えている。怖いくせに、なんで怖いって、嫌だって言わないんだろう。なんでもないみたいな顔して、いいよ、なんて笑ってみせて。本当は怖くて仕方がないくせに。
髪から垂れる雫が、またひとつ彼の頬を伝っていく。鼻につく灯油の臭いにだんだんとうんざりしてくる。
「僕も、薫が好きだよ、心底」
泣きそうな顔して、それでも笑って、征十郎くんはその手に握ったライターの着火部に指をかけた。彼の瞳に似た色が揺らめく。
僕の願いを叶えようとしてくれる彼はいつも一生懸命で、可愛くて、好きだった。王子様みたいな征十郎くんが、僕に振り回されて、僕のことで頭がいっぱいになっているのは見ていてとても満たされて、幸せだった。彼は僕のものだった。
けれど、本当の意味で彼は僕のものではなかった。いつだってどこかにみんなの赤司征十郎がある。みんなの赤司征十郎は誰のことも特別だと思わず、残酷なまでに平等だ。そんなの、許せるわけがないのだ。
彼は僕のもので、みんなのものじゃない。みんなの赤司征十郎などいらないのだ。僕は僕だけの赤司征十郎が欲しかった。なのに何をどうしたって、みんなの赤司征十郎はそこにいる。
だから僕は、征十郎くんの手で、みんなの赤司征十郎を殺させるのだ。
揺らめき燃え上がる炎は、征十郎くんの持つ美しい色には似ても似つかないほど醜い色をしていた。
あなたの愛したあと
2019.02.23