掃除も洗濯も終えたし買い物に行こうと、テレビの前に敷いたふかふかなラグに寝転がりお気に入りのふわふわクッション(猫時代から愛用)を枕にして日向ぼっこをしている征十郎に声を掛けた。日光をあびてふかふかになった毛並みに顔を埋めて吸った日のことをもやもや~と思い出していれば、パッと身を起こした征十郎がじっと見つめてくる。
赤と金の大きな瞳が瞬きもせず見つめてくるのは結構怖い。妙な威圧感があるし、悪いことをしていないはずなのに謝りたくなる。
「僕も行く」
あまり家から出ない、出ることを好まない完璧なインドア家猫だった征十郎の言葉に驚く。
人間になって二週間、家の外に出たのはベランダに洗濯物を干す俺の後に付いてきて手伝ってくれた数回のみという人間になってもスーパーインドア人間していた征十郎が、買い物についてくるなんて。
「何か欲しいもんでもあんのか?」
ポケットに財布と買い出しメモを突っ込みながら聞くと征十郎はこっくり頷いた。大きな猫目が心なしきらきらしている。
「たい焼きが食べたい」
たい焼き。魚の形のあれ。
「たい焼き?」
「昨日テレビで観た」
「ああ……食べてみたいのか?」
「そう」
「ほぉん……あれ魚じゃないぞ?」
「今僕のこと馬鹿にした?」
しゃきん、と今は無きあの鋭い爪が光ったような気がした。人間になってすぐに爪を切っておいてよかった、人間でも爪は十分凶器になるから。
「してないしてない。ほら、出掛けるんだろ、支度するぞ」
少しだけ不満顔のままな征十郎を誤魔化すようにせっついて、クローゼットから俺のコートを引っ張り出し着せる。征十郎が俺よりも細身で小さくて良かったと心から思う。まああのかわいいネコチャンが俺よりも図体がデカいわけがないんだが。
猫の頃の征十郎がよく引っ張り出して寝床にしていたお気に入りのもこもこしたマフラー(もうお分かりだろうが、うちのネコチャンはふあふあしたものともこもこしたものが大好きなのだ)を首に巻いてやれば、幾分か機嫌も直ったようだった。巻かれたマフラーを両手でもにもに触っている様子に、寝ぼけてふみふみしている可愛いの権化な姿を思い出してにこにこしてしまう。
「じゃあ行くか、靴はこの前買ったやつな」
服は俺のを着れるけれど靴はそうもいかない、と人間になって割とすぐに用意した靴がやっと日の目を見るようだ。
玄関で買ったばかりのスニーカーを履いている様子に、やっぱりうちの征十郎はとても頭が良いと再実感する。紐の結び方なんて買ったときに一度見せたきりなのに、上手に蝶々結びが出来ているしバランスも整っていて完璧だ。
左右対称に結ばれた紐を得意げに見せてくる征十郎がもう可愛くて可愛くて、ぎゅっとしてわしわししてしまう。猫の頃はぎゅってされるのはやっぱり嫌みたいだったが、人間になってから偶にぎゅってしても全然嫌がらなくなったし、何なら抱きしめ返してくれるのでその辺りの感覚は猫と人間は違うのかもしれない。
ちょっともさもさになってしまった髪を整えてやり、ようやっと家から出た。
東京は北海道や東北なんかに比べれば気温が高いとはいえ、やっぱり寒いものは寒い。もともと寒がりだったうちのネコチャンはもう既に家の中に戻りたい顔をしているが、やっぱりたい焼きは食べたいのか、帰るとは言わなかった。
「今度耳当てと帽子も買うか?」
「冬はもう出掛けない。何かあれば大和が行く」
「俺が行くの?」
「そう」
夏は夏で暑いから出掛けないっていうんだろうな。
鼻先までマフラーに顔を埋めた征十郎に思わず笑えば、またご機嫌ナナメになったようでグーで背中を殴られてしまった。猫パンチだ、といえばきっともっとご機嫌ナナメになるので黙っておこう。
強い風が吹けば立ち止まってきゅっと縮こまろうとする征十郎を引っ張りスーパーまで辿り着いたころには、征十郎はもう死んだ目をしていた。
だが初めて来るスーパー内に興味はあるのか、先ほどよりは元気にあちこち観察している。魚をいくつかと野菜をカゴに入れたところで、征十郎が豆腐のコーナーを見つけてしまった。今までになくきらきらとした目で俺の顔を見てくるが、家の冷蔵庫にまだ征十郎用に買った豆腐が結構ある。
「買わないぞ」
「これ、食べたことない」
「家にいっぱいある」
「これはなかった」
「家にあるの全部食べたらな」
「……」
両手で持ったうちではまず買わないお高めな豆腐を冷蔵ケースの中に戻すよう言うが、征十郎はじっと俺を見るばかりで動かない。大きな猫目がじ、と俺を見ている。
「征十郎、ダメ」
「……」
「せーい、たい焼き食いたくないのか」
大きなうるうるの猫目がジトっとした眼つきに変わる。それからフン、と気に入らないといわんばかりに征十郎は鼻を鳴らして豆腐を戻した。
「次一緒に買い物来たら買ってやるよ」
「絶対だからな」
「帽子と耳当て買う?」
「買う」
こっくり頷いた征十郎の頭をわしわし撫でて、残りの買い物をさっさとすませる。会計の途中から征十郎は、俺たちが入ってきた出入口とは別の出入口の方にある小さな出店風スペースが気になるらしく、そわそわそわそわ落ち着きがない。
レジ打ちしてくれている店員も、ここらではまずお目にかかれないレベルのイケメンにそわそわしていて、なんとも落ち着きのない空気が漂っている。そのせいで二度ほどレジ打ちミスをされながらもなんとか会計を終え、あとは買い物袋に物を詰めるのみとなった。
「買っておいで、このお札出せば足りるはずだから」
「……いい、待ってる」
そわそわしながらも袋詰めを手伝ってくれた征十郎の頭をまたわしわしと撫で、やっとお目当てのたい焼き屋の前まで来た。
結構人気があるのか、俺たちの前にいた人も五つばかり買っていく。おっちゃんが慣れた手付きで次々とたい焼きを作り上げていくのに釘付けな征十郎をつつき、どの味にするのか問えば「味……」と戸惑った顔をする。
「どれが美味しい?」
「好みだな」
「好み……」
結構味の種類があるようで、王道の餡子とクリームだけではなく、チョコ、いちご風味、チーズなどもある。俺は無難な餡子が一番好きだが征十郎はどうだろうな。
「全部食べてみる?」
「いいのか?」
「豆腐我慢したご褒美。あと袋詰めのお手伝いの分も」
ぱっと目を輝かせた征十郎に、大概俺も甘いな、なんて思いながらおっちゃんに各種二個ずつ注文すると横から「一個ずつでいい」と訂正された。
「一個でいいのか?」
「いい、大和と半分にして食べる」
「征十郎~!」
こういうとこなんだよなぁ、猫じゃなくなってもネコチャンかわいいって思うの。きゅん、とした胸を押さえていればおっちゃんも頬を薔薇色にしてにっこりしている。なんなら後ろに並んだお姉さん方も胸を押さえてはわわ、みたいな顔をしていた。
「じゃ、一個ずつください」
「あいよ、仲良く食べな」
にこにこのおっちゃんから紙袋を受け取ると征十郎の目がきらきらと輝いた。はやく食べてみたいのかじいっと大切に持った紙袋を見つめている。
もう一度おっちゃんに礼を言ってスーパーを出た。
「早く帰ろう。冷めてしまう」
「お前がさっさと歩いてくれれば十分もかかんないぞ」
よっぽどたい焼きをはやく食べたいのか、来た時よりも随分速足で征十郎は歩いていく。そのおかげで家にはスーパーについた時の半分くらいの時間でついた。
紙袋をそうっとテーブルに置いた征十郎からマフラーやらコートやらを剥ぎ取り、手を洗いに行かせる。俺も手を洗って、たい焼きには緑茶だろうとお茶の準備をしてリビングに戻ると、先に食べてるかと思っていた征十郎は行儀よくテーブルの前に座って待っていた。
「先食ってて良かったのに」
「……半分にするから」
ウソ、うちのネコチャンめちゃめちゃに可愛くない?半分にして一緒に食べたかったから待ってたってこと?今すぐぎゅってしてナデナデしてやりたいが、たい焼きが食べたい征十郎はすごく嫌がるだろう。
ぐっと堪えて温めにした方のお茶を征十郎の前に置き、一緒に持ってきた大皿へたい焼きを並べる。
「今全部食べるか?」
「出来立てが美味しいと言っていた」
「レンジであっためれば?トースターでちょっと焼いても外側ぱりぱりになって美味いけど」
「なら二個だけ食べる。これとこれ」
「……あ、俺が割るのね」
はいはい、と選ばれし二個を半分に割ってやる。餡子と、おそらくチーズのものだろう、美味しい匂いが強くなった。
餡子から食べるという征十郎にそちらを渡せば、興味津々という目で手の中のたい焼きを見つめている。すんすん、と匂いを嗅いでまだ少し熱い生地を冷ましながら一口。ぱっときらきらの赤い瞳が開かれ、ぱぱぱっと周囲に花が舞う幻覚が見えた。どうやら大変お気に召したらしい。
美味しい、と顔を綻ばせる征十郎に、そんなに喜ぶならまた買ってやろうと決め、俺も一口たい焼きを頬張った。
呼気に降りつもる花嵐
rewrite:2022.02.04