大音量の音の洪水で外界を切り離して騒音を殺せば、体中を巡る音がふわりと俺を地面から浮かばせてくれる。心地良いその感覚にどっぷりと浸りながら人の隙間をすり抜け、どんどん教室から遠ざかっていった。
道中何やら声を掛けてくる奴もいたが、今はおしゃべりの気分じゃないからまあ当然無視である。相手するだけ時間の無駄だ。
ステップでも踏むようにするする人を避け、どんどん人の少ない方へ進んでいく。今日は天気が良いから屋上でのんびり昼寝するのも良いが、また先客がいるかもしれない。時々鉢会うあのこげぱん野郎は好きじゃない、というか嫌いだ。チャバネゴキブリみたいな色しやがって、何度屋上から突き落としてやろうと思ったことか。
思い出すだけで気分が悪くなるから屋上はやめて図書室にしよう。あそこは静かだし、窓際は日が当たってとても気持ちが良い。
鼻歌混じりに廊下を進んでいると音の隙間を縫うように始業の鐘の音が聞こえてきた。もう授業が始まるらしいがまあ俺には関係のない話だ、と図書室へ向かっていた矢先、ぐんっと体が後ろに傾いた。
誰かなんて見なくても分かる、またあいつだ。殺意を込めて舌打ちしながら振り向けば案の定、赤い髪が視界に入った。眉目秀麗、成績優秀、教師の覚えめでたく学校一の秀才だか天才だかと持て囃されているこいつ、赤司征十郎は、一体何が気になって引っ掛かっているのか、何かっていうと俺に絡んできてとんでもなく鬱陶しい男だ。
今日も無駄に綺麗な顔を顰めながら何やらごちゃごちゃ言っている。まあ如何せんこっちはイヤホンをしているし、何なら爆音で音楽を聴いているから何言ってんだかよく知らんが、どうせ何処に行くんだとかこれから授業だろうとかそんな優等生なお言葉だろう。
聞くだけ無駄だな、とポケットにつっこんだままの指先で音量を上げていればピッとイヤホンコードを引っ張られ耳から外される。

「人が話しているときは外せ。常識だろう」

ふわふわ浮いていた足が急に地面につく。最悪な気分だ。自分でも驚くほど機嫌が急降下していくのが分かる。
今日中にワイヤレスのものを買うと決め、引っ張られたままのイヤホンを取り戻そうとコードをクッと引くが返ってこない。マジで何なんだこいつ、普通に殺意しか湧かないんだが。

「もう授業が始まるというのに何処に行くつもりだ」
「何処でもいーだろ、返せよ」
「お前が授業に出るなら返す」
「はあ~出るわけねーだろあんなクソ授業、時間の無駄だわ」

次の授業である世界史は、吐き気がするほど面白くない話と死ぬほどどうでもいい自分の昔語りばかりする教師の授業だ。本人は生徒にウケてると思ってるけど本人以外誰にもウケてないし、あんなん聞いてるくらいなら図書室の歴史書や偉人伝を読む方が数億倍勉強になるし面白い。
テストの点数は良い点を出してるから出席数と合わせて今のところトントン、進学できなくはない成績を収めている。ので、出る必要はないと俺は決めていた。テストの点が良いから別にごちゃごちゃ教師に言われないし、そもそも私立校だからか放任されている。

「てか何でお前がそんなん俺に言うわけ」
「先生に頼まれてきている」
「今更ぁ?今までセンセー何にも言わなかったじゃん。は~、もう授業始まるぞ優等生、じゃーな」

今日ワイヤレス買うし、今のイヤホンとはもうお別れってことでコレごと赤司も捨てて行こう。ピッと線を抜いてまだ何か話してる赤司を無視して横をすり抜け、駆け足で階段を上る。あいつはド真面目に授業に出るだろうから追いかけては来ない。
うんざりとした気分を溜め息と共に吐き出し、今日は気が済むまで本でも読んで帰ろうと決めた。


* * *


今日は部活も休みだし帰りにどっか寄ってこ、とトイレから戻りがてら適当に連絡を送っていると、自分の教室の前に妙な空間が出来ているのに気付いた。
帰る人だったり部活に行く人だったりで賑わう廊下の真ん中、ぽっかりと空いた場所に従兄に譲ってもらったらしいギターケース背負ったクラスメイトのマトっちと、腕を組み仁王立ちする我がバスケ部主将の赤司っちが向かい合っている。周囲の人間はちらちらと二人を気にし、遠巻きに見ていた。どっちもタイプは全然違うけど校内では有名人だ、そりゃあ野次馬したくなる。
赤司っちが何かを言って、それに心底面倒と言いたそうな顔をしたマトっちが言葉を返している。そのマトっちの片耳には先週買ったばっかの新品ほやほやワイヤレスイヤホンがはまっていて、話をちゃんと聞く気は全くなさそうだった。
赤司っちがマトっちの素行注意をしているのはよく見るけど、俺はそれが先生から頼まれたからっていうだけじゃない気がしてならない。だって、先生に頼まれてするっていうだけにしてはやけに熱が入っているっていうか、気に掛けているっていうか。気になって仕方ない、みたいな感じなのだ。
いやまあ、マトっちってマジで自分のルールで生きてるし訳分かんないとこ多いから気になるのは分かる。俺もマトっちのこと気になっちゃってウザ絡みして鬱陶しがられながら仲良くなったクチだし。
好きじゃない教師の授業はまあ出ないし、でもテストは普通に高得点出して(俺天才だから、とはマトっちがよく使う言葉である)教師黙らせちゃうし。好きな教師の授業は反対に絶対欠席しないし発言数は半端じゃないし、なんなら職員室まで行って色々質問する、てくらい極端。
好き嫌いがはっきりしていて誰がどうみてもすぐ分かる。交友関係も謎で、イキってる不良系とも仲良く喋ってると思ったら、クラスの隅にいるタイプのオタク君と仲良くアプリゲームしてるし。解かりやすくて、でも知らない部分がたくさんあるから、今のところ俺の一番のお気に入りのおトモダチだ。
そんな愉快なマトっちは赤司っちのことが苦手らしい。嫌いだったらガン無視の存在ごとスルーする男だから、無視せず話をしているとこを見るに苦手なだけなのだろう。
うんざりと息を吐いてるマトっちに助け舟でも出しがてら何で絡まれてるのか聞こう、と人の間を縫って近付く。

「なぁに話してんスか、二人とも廊下の真ん中っスよ」
「黄瀬ぇ、もうこいつ部活に連れてってよ」
「今日休みなんスよね」
「自主練しろよ」
「やだ~。で、何の話してたんスか?」
工藤の補習の話だ」
「えー!何の補習?珍しいっスね、マトっちが補習なんて」
「生物だ。実技をサボり過ぎてるからこのままだと留年させると先生が言っていた」
「生物に実技もくそもねーだろ。今の今までは何にも言わなかったくせに最近すげー俺のこと構うじゃん、何?」
「他からいろいろ言われたんじゃないんスかぁ?で、赤司っちはまた伝言係?」
「いや、俺は補習の教師役を頼まれたんだ」

つまんなそうに俺のカーディガンのほつれを指で引っ張りちょっとずつほどこうとしていたマトっちが、げえっと顔を歪めた。
「もっと行きたくない」とため息混じりに言うマトっちは、でも逃げ出すそぶりは見せない。まあ逃げても絶対追い掛けてくるだろうし、何なら捕まるまで追い掛け回されるってことを身を持って知ってるから逃げないのだろうけどなんとなく大人しいマトっちが珍しくてじろじろ見てしまう。

「なに?」
「なんか大人しいっスね、マトっち。どしたの?」
「んー、すげえ眠たい」
「あらあ、おねむだったんスか」
「だから帰るわ。今日行っても俺絶対寝るからな、神に誓う」
「部活はいいんスか?」
「いい。行っても寝る」

ドス、と俺の肩に頭突きしたマトっちは「じゃーな」と手をあげ背を向ける。

工藤
「明日出る~」
「帰り道で寝ちゃダメっスよー」

あーと適当な返事をしたマトっちをそのまま見送り、赤司っちを見れば感情の読めない目で俺を見ていた。端的に言って怖い。
仲が良いんだな、と言いながらじっと見てくる赤司っちはなんだか嫉妬しているように思える。いやまさかな、なんて思いながら「一番仲良しっスからね、俺とマトっち」と多少事実を盛りつつ答えれば面白くなさげな相槌が返ってきた。

「え、赤司っち?」
「なんだ?」
「もしかする?」
「何が」
「え、ほんとに?」
「だから何がだ」
「え~!頑張ってね赤司っち、俺応援するし協力するから!」
「待て黄瀬、何の話だ」
「隠さなくていいんスよ、俺偏見とか全然ないから。や~でもマトっちかぁ、まあ顔は良いっスからね俺の次くらいに」
「……いや、何の勘違いしてるんだ、違うぞ」
「でもマトっち変なとこアホだからもっと分かり易くいったほうが良いっスよ」
「だから違う」
「あとマトっち甘いもの結構好きだから会話のきっかけにでもしてね」
「だから、」
「じゃ、また明日ね赤司っち~!がんばれ~!」
「おい黄瀬!」

いやまさかな、とは思ったけどまさかだったとは。気にしてるな、とは思ってたけどそれがソウイウ好意からくるとは思ってもいなかった。こんなに近くでこんな面白いことになってたなんて。
結構適当なマトっちと、結構神経質な赤司っち、意外とお似合いなんじゃないだろうか。どっちも俺の大事な友達だし、二人がくっついたら楽しそう。
明日からの楽しみとやることがひとつ増えた。早速黒子っち達に連絡して、作戦会議でもしよう。

ふわふわの不透明

rewrite:2022.01.20