僕たちにそう報告してきた彼は、それはもう見たことがないくらいの笑顔でご機嫌な様子であった。なんでも、かれこれ一年かけて口説き落としたそうだ。
「一年……ってじゃあ入学早々かよ!?」
「そうだね」
「ひゅー!赤司っちやるゥ!」
「運命を感じてしまったからね」
満面の笑みである。若干生温い気持ちになりながら「どなたなんですか?」と問うとこれまた満面の笑みで「工藤大和」と彼は答えた。
工藤大和。珍しくない名字にこれまた珍しくない名前。だが、この学校でその名前を持っている人間は一人しかいないだろう。僕たちはさっと視線を交わし、赤司君を見上げた。変わらない満面の笑み。冗談ではない、ということだろうか。
「え、工藤大和ってあの工藤大和っスか?あの孤高の王子とか恥ずかしい渾名付けられちゃってる?」
「そうだね」
「……男じゃん。彼女じゃなくない?」
「いや、彼女であってる。彼は俺の彼女で、嫁にくる子だから」
というのが、まあ先週の話である。
あの報告の後赤司君って同性愛者だったのか、とか、嫁ってなんだ、とかなんとか色々大騒ぎしたけれど今ではもうすっかり落ち着いている。赤司君が何かというとカノジョ(暫定)の話をするから。
「あ、俺今日赤司っちのお嫁さんとお話したっスよ。まあほとんど俺が喋ってたんスけど」
「ああ、大和も言ってたよ。またどきどきして全然話せなかったって」
彼の口から聞く工藤大和君は僕たちが思い描いていた像とはかけ離れている。
僕たちが知る工藤君は無口であまり表情を変えず、ひんやりとした近寄りがたい空気を纏っている人だ。ハーフだという日本人離れした整った顔立ちと相まって、女子たちの間で孤高の王子なんていうちょっと恥ずかしい渾名で密かに呼ばれているくらい、誰かと仲良くしているのは見たことがない。
そんな工藤君を、赤司君は人見知りの恥ずかしがり屋と称する。無口なのも人見知りしているだけで仲良くなれば普通におしゃべりするし、無表情なのも単純に内心の焦りやどきどき、不安感を我慢しているかららしい。赤司君が話す『工藤君』はとても可愛らしい人なのだ。
「俺まだ話したことないんだけどさぁ、どんな感じ?」
「ん~なんか、お人形さんみたいな感じっスかね?たま~に頷くけど大体聞き流されてる感じ?」
「ああ、それほとんどフリーズしてるんだよ」
ふふ、と笑って、話を聞いていた赤司君が言った。「まだ慣れてない人に一気に色々話をされるとパニックになるんだ、あの子。聞き取って理解した単語に頷くけど、大半は混乱と緊張で何を言ってるのか分からないみたい」と笑みを含んだ声でそういう赤司君の目はとても甘くて優しい。これは工藤君を心底可愛いと思ってる顔だ、絶対。
「赤司っちがそういうとそうなんだな~って思うしちょっとかわいいって思うけど、実際本人前にするとマジで人見知り?て思っちゃうんスよねぇ。表情変わんないからっスかね」
う~ん、といまだに工藤君が人見知りだと納得していない黄瀬君は腕を組んで首を傾げた。
黄瀬君は、何故か赤司君がいう可愛い工藤君像を拝んでみたくて仕方がないようで、赤司君の恋人出来ました報告をされてから何かというと絡みにいっている。工藤君が可哀想なのでやめてあげてほしいのだが、黄瀬君の好奇心と探求心はうずうずしっぱなしらしい。
そんな話をした三日後、とうとうそれは訪れたのである。
食堂へ向かう途中に黄瀬君と紫原君に会い、三人で話しながら歩いていたところ「あれ?」と黄瀬君が足を止めた。目の前に見えていた食堂の手前にある購買の前に、赤司君と工藤君を見つけたのである。きっと今日も二人でお昼を食べるのだろう、お付き合い報告を受けてから赤司君はめっきり僕たちとお昼を共にすることがなくなったから。
赤司君と一緒にいる工藤君なら、赤司君がいう工藤君像を拝めると思ったのか黄瀬君は目を輝かせながら駆け寄っていく。赤司君が若干迷惑そうな顔をしてることに気付いていないのだろうか。まあ黄瀬君のことだから、気付いていても知らないフリくらいしていそうだが。
「これからお昼っスか?」
にこにこと赤司君、ではなくその隣にいる工藤君へ話しかける黄瀬君はとても楽しそうである。
工藤君は黄瀬君を見た後、黄瀬君の後ろから歩いてくる僕と紫原君を見て、赤司君を見た。ぱたぱたと瞬きして、それからまた黄瀬君を見る。なんだろう、なんだかすごく戸惑いを感じる仕草だ。
赤司君はそんな工藤君の様子にちょっとだけ笑ってから、「そうだよ、お前たちもだろう?」と僕たちを見た。工藤君ではなく赤司君が答えたことに不満なのか、黄瀬君はう~んと渋い顔で頷いている。
「工藤クンは何食べるんスか?ていうかいっつも何処で食べてんスか、二人で」
ねえねえ、と工藤君に一歩ずいっと近付く黄瀬君はなんというか、蛇みたいだ。ちょっと怖い。
工藤君もそう感じたのか、半歩下がってちょっと瞳を潤ませながら赤司君の制服の裾をぎゅうっと握りしめた。それからそうっとまるで隠れるみたいに赤司君に身を寄せる。でも工藤君の方が背が高いから全然隠れられていない。うーん、赤司君が言ってた通り可愛い人なのかもしれない。仕草が小動物みたいなのだ。
「黄瀬、あんまり大和をイジメないでくれないか」
「えっ」
「ほら、大和。はやく選んで買っておいで」
そっと工藤君の背中を押して購買の中へと入らせた赤司君は、さて、と腕を組んだ。緩やかに笑んだその目の冷ややかさは、何度か指摘されていたミスを繰り返した部員を見るときと一緒である。
すっと顔を青くさせた黄瀬君が視線をうろうろとさせながら「ちがうんスよぉ~」と情けない声を出し、「赤司っちがいっつもかわいいかわいいっていうからぁ」とか「全然イメージわかないから実際見てみたくて」とか「イジメてるつもりは全然ないんスよぉ~」とか、すごい早さであれこれを並べ立てていく。それを赤司君は美しい笑みでもって聞いていて、別段悪いことをはしていないはずの僕と紫原君くんもお腹が痛くなってきてしまった。
「征十郎、買ってきた」
つん、と後ろから赤司君のブレザーの裾を引っ張った工藤君が内緒話でもするように、ひっそりと、彼の耳の近くへ顔を寄せる。パッと腕を解いた彼は僕たちに見せていたものとは全く違う笑みでもって工藤君を迎えた。
何度も見たことがある、あの甘くて優しい、工藤君が可愛くて仕方がないっていう顔だ。ただでさえ顔が良い赤司君にこんな顔向けられたら誰だって骨抜きのふにゃふにゃになってしまうんだろうな、と思っていたけれど、工藤君にとってはそんな顔が当たり前なのか特段変わった様子はない。
「じゃあ行こうか。話し込んだせいで随分と時間を無駄にしてしまったからね」
極々自然に工藤君の手を握った赤司くんは、またあとで、と僕たちへ口元だけで笑んでさっさと歩いて行ってしまった。ちらりとこちらを振り返った工藤君がちょこんと頭を下げたのを見た僕たちは、互いに顔を見合わせ、ひとつ頷く。
「人見知りの恥ずかしがり屋さんですね」
「ん~、人見知りっていうかコミュ障っぽくない?」
「ぽいっスねぇ。あれ、も少しいけば仲良くなれそうな感じじゃないっスか?」
「どうですかね。とりあえず黄瀬君は今日の部活覚悟しておいた方がいいと思いますよ」
「ッぐ、考えないようにしてたのに思い出させないでほしいっス……マジであんな怯えさせるつもりなかったんスよぉ」
はあ、と半泣きで溜息を吐く黄瀬君の顔色は結局放課後まで青いままだったし、工藤君が僕たちとまともに会話を交わせるようになるまで丸二ヶ月かかることになるのであった。
花摘みの味
2019.01.20