最大の失敗は、恐らく選んだ中学校にあるだろう。
いや、あの花宮とかいう綺麗な名前の割に中身がどす黒く腐敗しきった生ゴミのような男と出会ってしまったことかもしれない。ああ思い出すだけで吐き気と頭痛と蕁麻疹が出てくる。
中学の記憶は全て封印してなかったことにしたい。出来ることなら小学生の俺のところに行って、遠くても違う中学校に行けと説得したいくらい良い思い出なんて一つもない。まあ後半はほとんど家から出られない状態だったのでいうほど思い出なんてものはないが。
それでもどうしようもなく思い出してしんどくなることは沢山あった。自分が何でここにいるのか分からないし、この先どうしたいのかも考えられない。ただただ朝が来るのが嫌だった。夜は眠れなくなって、当然朝は全然起きられなくなった。家の玄関から外に出られなくなって、体が重くて全然動けなくなって部屋からも出られなくなった。
そうして中学の後半を自宅で過ごし、中学三年生の後半少しだけ生徒指導室で過ごすというなかなか悲惨でどんよりドブ色をしていた中学校生活を経て、俺は心機一転するため、めちゃめちゃ勉強して地元から遠く離れた京都の高校へ来たのである。
京都のその高校を選んだ理由はまあ地元から離れているということもあるが何より、寮生活なのだ。生活能力の無い俺でもきっと生きてはいけるはずの、食事がきっちり出る全寮制の学校。散々迷惑と心配をかけまくってしまった親の為にも、ちゃんと一からまともに生きていける、大丈夫だって思ってもらえるよう再出発する舞台としては上々だろう。
そうして思っていた通り、とまではいかなくとも今現在、どうにかこうにかなんとかちゃんと生活出来ていた。それもこれも俺の友達であり寮部屋の隣人である赤司征十郎という男のお陰である。
赤司と仲良くなった切欠は、全寮制のデカい高校なだけあってやたらめったらと人の多い食堂の前で入ろうか帰ろうかうろうろ迷っていた俺に赤司が声を掛けてきたことである。綺麗な顔に赤い髪と赤い目をした、火の妖精のような見た目をしたその男は、けれど見た目に反して柔らかな口調で一体そこで何をしているのか、何か困ったことでもあったのか、と優しく問いかけてくれたのだ。
あまり人の優しさに触れてこなかった俺にはその時赤司が菩薩か何かに見えた。後々本人にあの時何故声を掛けたのか尋ねると、なんだか一人でおろおろうろうろしているのが迷子の子犬のようでとても可哀想に思えたから、という菩薩度満点の答えが返ってきたので彼は実質菩薩なのだろう。
それからは部屋が隣というのも何かの縁だと言って、赤司の用事などがない限りは一緒にご飯を食べたり、街まで買い物に行ったりと何かと気に掛けて構ってくれて、そうしているうちに仲良くなり、今では赤司は俺の唯一無二の大切な友人(であってほしい)となったのだ。
赤司のおかげで学校に行くこともあまり苦じゃなくなってきていて、中学に比べると休むこともだいぶ少なくなっているし、クラスメイトともなんとか上手くやっている。挨拶だってするし、軽い会話だって交わせるようになったのだ。本当に赤司様様である。
このまま行けば友達百人夢じゃないのではと思い始めていたのだが、どうにも最近、赤司が変なのである。
俺が赤司の周りの人間や、クラスメイトと話していると時々妙に怖い顔をする時があるのだ。俺と目が合うとにっこり笑ってくれるけど、でもそれまでの一瞬、目が据わって妙に迫力と圧がある顔をしているしどこか不機嫌そうな空気を出している。それ以外にも俺が赤司以外の人を食事に誘おうとするとちょっと眉を寄せてからぷいっとどこかに行ってしまったり、その日クラスであったことを話していると時々妙に冷たい顔をしたりもするのだ。
気付かぬうちに何か気に障ることをしてしまっているのだろうけど、俺は人の気持ちを慮るのが大変不得手なのでどこでどうなってそうなったのか全く見当つかない。それとなく聞きたいけれど、俺のコミュニケーション能力はまあ絶望的に低い。かといって直接ずばっと赤司に聞くことは怖くて出来やしない、だって存在そのものを否定されたら?努力じゃあどうにもならないところで不快な思いをさせていたら、もう金輪際関わらないという選択肢しか無くなって、そうなればきっと俺はまた昔に逆戻りだ。
そうなるのが怖くて、気になるけど聞けない、そんな悶々とした日々をここ最近過ごしていた。
「悠久、ご飯に食べに行くよ」
最近読書傾向が似ていることが判明し色々話すようになった隣の席の前川と本の話をしていると、不意に腕を引かれた。はっと振り返れば、教室までわざわざ迎えに来てくれたらしい赤司が少し機嫌の悪そうな顔をして立っている。ああ、まただ。
無駄に眼力のある強い赤い瞳で前川をじっと見つめた後、何も言わずに俺の腕を引いて行く。いつにも増して今日は不機嫌そうだ。
俺が待ち合わせの時間を過ぎても話に夢中だったから怒っているのだろうか、それとも別のことで怒っているのだろうか。握られた腕が痛い。どうすればいいのだろう。謝っても許してくれるだろうか、もういいって言われたらどうしたらいいのだとう。俺はまだ赤司と仲良くしていたい。
「あの、赤司……」
「なに」
「あの、ごめん、約束守んなくて、遅れてごめんなさい」
足を止め振り返った赤司はまだ少し不機嫌そうに冷たい顔をしているけれど、きちんと俺を見てくれる。腕は握られたままだけれど、さっきよりも力は弱くなっていた。
「その、俺、話に夢中になっちゃってて……あの、ごめん」
「悠久、僕は怒ってないよ」
「え、」
「怒ってない、ちょっと拗ねてるだけ」
「すねてる……」
「僕はいつだって悠久のことを考えてるのに、お前はそうじゃないんだなって思って」
「お、俺だって赤司のこといっぱい考えてるよ、だって赤司は俺の、」
「俺の?」
「い、一番の、友達、だから……」
違うって言われたら俺はもう二度と部屋から出られない。けどきっと赤司も俺のこと仲の良い友達くらいには思ってくれているはずだ、という思いも込めて赤司を見た。
赤司はその大きな猫みたいな目をまん丸にさせてぱたりと一度瞬きした。それから小さな声で「ともだち」と呟いている。え、友達ですらないのか、本当か、そんな初耳ですみたいな声で言うなんて。
「一番?」
「あの、俺にとっては……」
「じゃあいいかな、今は。僕も悠久が一番だよ」
「えっ」
「嬉しそうだね」
「すごくうれしい……」
赤司も俺が一番の友達だって!!!と全世界の人々に言って歩きたいくらい嬉しい。
ついにこにこしてしまう俺に赤司もにこにこしてくれる。
いつの間にか腕を握りしめていた手は俺の手を握りしめていて、赤司はそのまま俺の手を引いて食堂へ歩き出した。赤司は時々こうして俺の手を引いて歩く。なんかちょっと子供みたいで恥ずかしいけど、離してっていうと赤司が悲しそうな顔をするので俺は黙って手を引かれることに決めた。まあ俺が少し我慢すればいいだけだ。
少し冷たくて筋張った大きな赤司の手はオトナの男っていう感じがして、俺はその手に触れる度にいいなあって憧れを抱いてしまう。俺の手はまあ平均サイズだがスポーツも何もしていないから悲しいほどふにゃふにゃのやわやわなのだ。赤司はもちもちしてる、と気に入っているようだけど。
「これからもずっと悠久が一番だから、悠久も僕のことを一番にしていてくれると嬉しい」
「一番だよ、ずっと」
この時、浮かれてにこにこ笑っていた俺は赤司の言う“一番”と俺の思う“一番”が違うだなんて知らなかったし、そもそもそこに違いがあるだなんて考えてもいなかった。
この日から俺は今までの比じゃないくらい赤司に構われて、どんどん外堀から埋められていつの間にか“将来を約束した仲”になり、過去の清算という名目で名前も言いたくないあの男をぼこぼこにしに行ったり、赤司の旧友たちに“恋人”として紹介されたりそれぞれの家族に挨拶しに行くことになるのだが、そんなこと、この時の俺は一ミリたりとも予想などしていなかったのである。
かがやける日々の正体
rewrite:2022.01.25