暑い夏の盛り、お祭りに行こうと彼が言った。
家の近くにある神社でお祭りが行われるのは知っていたけれど、僕はお祭りなんて行ったこともなかったし誰かに誘われたこともない。だから彼がそう言ってくれたことがとても嬉しかった。他の誰でもない彼と一緒に、ということが何よりも嬉しい。
約束の日が来るのが待ち遠しくて、いつもはカレンダーなんて見もしないのにわざわざペンでバツ印まで書いて。少しずつ近付くその日に楽しみな気持ちはどんどん大きくなっていった。
そうしてその約束の日、浴衣なんて持っていない僕に彼は浴衣を持ってきてくれた。鮮やかな赤い浴衣に黄色い兵児帯。女の子が着るような色合いのものだったけれど、彼は似合うねと微笑んでくれた。これにして良かった、と。
彼が丁寧に結んでくれた兵児帯が動くたびにひらひらと舞っていて、金魚みたいだねと眩しそうに目を細めていたのを鮮明に覚えている。彼の手に引かれ色々な屋台を巡り、食べたことのないものを食べてみたりして。何もかも新鮮で、とても楽しかった。どこもかしこもきらきらしていて、別世界のようだったのだ。
もうすぐ花火が始まるよ、と言った彼はそのままするする人混みを抜けて神社のある方へ向かって行った。その時は神社に行くのかと思ったのだ。会場よりも神社のある場所の方が空が近く、辺りも何もないからきっと花火がよく見える。だからそこに行くのだと。
けれど彼は神社を通り過ぎて奥へと入っていく。どんどん人が少なくなり、祭りの明かりも遠のいて暗くなる周囲に不安になって彼の手を強く握れば、彼は優しく優しく笑って言った。

「どうか俺と一緒に死んでくれないか」

立ち止まった僕の頬をそうっと宝物に触れるように優しく撫で、彼はそっと唇をよせもう一度、「どうか一緒に死んでくれ」と泣いてしまいそうな柔い微笑みを浮かべた。

* * *

蘭馬というクラスメイトは精巧な美しい人形のような人だ。
白磁の頬には長い睫毛が淡い影を描き、黒曜の瞳は硝子玉のように見える。ぞっとするほど赤い唇だけが鮮やかで、それがより彼を作り物めいて見せるのだ。
彼は到底生きているようには見えなかった。神様がひとつひとつ丁寧に作り上げていったひとつの作品、それが僕の、いや皆の彼に対する印象だ。それ故、自分たちと同じ人間であるとは到底思えず、彼に近寄るような人は誰もいなかった。遠巻きに眺めては恍惚の溜め息を吐く者もいれば、反対に人間離れした様に恐ろしげに身震いする者もいた。僕は紛れもなく前者であろう。
しかし何事にも例外はある。彼に近寄る人は誰もいなかったけれど、たった一人だけ、例外がいた。それは、校内で彼と同じくらい有名な赤司征十郎その人である。
赤司君はいつの間にか蘭馬君の隣にいた。どういう経緯で知り合い、親密な関係になっていったのかは誰も知らない。けれど気が付けば彼らは共に行動し、誰も入ることの出来ない二人だけの世界を構築していた。
僕には到底出来ないことを赤司君はいつも簡単にやってのける。さらりと、なんてことないことのように。それだけの資質があるのは十二分に理解しているけれど、しかしどうしたって羨ましく、妬ましくもあった。
彼の隣に立っているのが僕であったならばなどと夢見てしまうほどに、僕は蘭馬という人に焦がれていたのだ。
そうして好機は突然やってきた。
赤司君が消えたのだ。否、消えたというのは少々間違いかもしれない。
赤司君は先週開かれた神社の祭りの晩、蘭馬君と共に出掛けたのだがその日の夜遅くになっても二人とも帰って来なかったのだ。心配した彼らの両親が一晩掛けて捜索し、見つかったのは蘭馬君だけであった。彼が発見された場所はなんと神社裏にある沼の中。千切れた赤く太い紐を手首に巻きつけた彼が、沼の真ん中に浮かんでいたのだそうだ。
そのまま病院に搬送され数日後意識を取り戻した彼は、半ば強引に事の顛末を語らされた。その長い話を端的にまとめると、彼らは心中しようとしたらしいのである。自分たちの世界を完成させる為に、赤い糸の代わりに互いを紐で固く結んで。
しかしその紐は千切れた。
そして赤司君も見つかっていない。数十人がかりで沼の中を捜索したようだが、赤司君どころか千切れた紐の片方すらも見つからなかった。
というのが、僕が蘭馬君本人から聞いた話だ。僕がこうして彼と接触出来たのは、ある意味全て、赤司君のお陰なのである。
赤司君が消えたことで僕たちは繋がったのだ。

蘭馬君」

彼が消えたお陰で、僕はこうして夢にまでみた蘭馬君の隣を得ることが出来た。

「黒子くん、どうしたの」

彼は赤司君を失ってからより美しくなったように思う。今にも崩れ壊れてしまいそうな破滅的で頽廃的な危うさを纏い薄く笑んだその姿に、眩暈を起こしそうになる。伽藍洞な笑みはゾッとするほど美しく、恐ろしい。

「よければ来週、隣町のお祭りに行きませんか?」

* * *

彼がもし普通の人間であったならば僕の誘いになんて乗らなかっただろう。違う町のものだとはいえ大切な人が消えた祭りに、まだたったの二週間ばかりしか経っていない中で誰が行くというのだ。
でも僕は絶対に彼が頷くと分かっていた。彼は確かに赤司君を失ってからより一層人間離れした美しさを纏っているが、それ以外があまりにも変わらないのだ。赤司君がいた時と、今と、きっと彼の生活は何も変わっていないだろう。落ち込むわけでも、無理に平気なふりをしているわけでもない、どこまでも自然体で薄く笑んでそこに佇んでいる。
それが何を意味しているのか、僕はどこかで理解していながらも受け入れることを拒んでいた。

少女が纏うような鮮やかな赤い浴衣を纏い黄色の兵児帯を結んだ彼が、ふわふわとした足取りで駆けてくる。動くたびにひらひらと舞う帯が金魚の尾鰭のように見えた。彼の纏うその浴衣は確か、あの日に身に着けていたと言っていたものなのだろう。一度沼に沈み藻や泥に塗れたはずなのにそんなことが嘘であったかのように綺麗だ。
似合っていると伝えれば、彼は至極嬉しそうに目を細めて帯を撫でる。

「金魚みたいでしょう」

僕を見上げていたはずの彼の視線が、すいっと僕を通り抜けていく。その先に誰を見ているのかなんて、考えなくても、いやでもわかってしまった。
彼の心には今でも当たり前のように赤司君が住んでいる。赤司君は彼の心と共に消えたのだ。だから彼はあれほど自然体でそこに存在し、そして心を失ったが故に恐ろしいほどの美しさでそこにいる。僕はもう二度と彼の心に触れることも、近付くことすらも叶わない。どこかで理解していた。けれど認めたくなかった。
あちこちに吊るされた提燈で淡く照らされたその笑みに曖昧な笑みを返して、彼の手を取り逃げるように雑踏に紛れ込んだ。

「あ、林檎飴」

僕たちから少し離れた場所にある屋台できらきらと輝く小さな林檎を見つけた蘭馬君が立ち止まる。

「食べますか?」

嬉しそうに頷いた彼の手を引き屋台へ近付いたとき、ふと水のにおいが鼻先を掠めていった。水というには少し泥臭いそれに何だろう辺りを見渡した時、燃えるような赤が、行き交う人々の隙間から雨など降っていないのにしとどに濡れた浴衣が、見えた。

蘭馬君、先に飲み物を買いませんか」
「え?」
「水分取っていないでしょう?倒れたら大変ですし」

すぐ目の前に林檎飴の屋台があるのにどうして、と言いたげな目をする彼の手を引いてその場を離れようとしたとき、呼ばれたように彼が振り返った。

「赤司くん!」

ああどうして。
あんなに強く掴んでいた手がするりと離れて、ひらひらと帯を泳がせながら彼はどんどん遠ざかっていく。濡れた青褪めた手が彼へと伸ばされるのが見えた。千切れ黒ずんだ赤い紐がその手首に巻き付いて揺れている。
さあっと人の通りが止まったその一瞬、どろりと濁った赤い瞳が、僕を見て笑った。

吐き気がするほど幸福な

rewrite:2022.01.24