発端は、家が隣同士で生まれた頃から共に居た幼馴染が、母方の親戚の葬式に行って帰って来るやいなや「お葬式ごっこしてみたい」と言ってきたことだ。
棺に入り花に囲まれたその親戚に何を感じたのか、幼馴染のはきらきらとした目で“お葬式ごっこ”とやらの話を俺にした。棺は狭いのか、どんな気持ちになるのか、そんなようなことを言って、実際に入って確かめてみようよとにこにこは笑っていた。
昔からどうにも俺はのお願いに弱く、大抵のことは頷いてしまう。それに対しの両親は嫌なことは断って良いのだ、と言ってきたがのお願いは一緒にどこそこへ遊びに行きたいだとか、最近人気のパティスリーのケーキを一緒に食べたいだとか、そういう可愛いお願いばかりだったのだ。
時にはうんざりするけれど、そういうワガママのようなことを言うのは俺にだけだと知ってからは細やかな優越感と愛しさを抱いてしまって。そうしてますます俺はのお願いに弱くなって、ほとんど条件反射のように頷いてしまう。
そうして後悔するのだ。なんであの時、頷いたんだろう、と。


に連れて行かれた彼の家が所有する山の中、少し開けた場所に掘られた穴の中央にぽつんと置かれた、どうやって用意したのか分からない棺らしき物を前に俺は何かマズいことが起こる様な予感がしていた。電車で二十分、居住地からはそこそこに遠い山の中。鳥の鳴き声と風の音しかしないような場所で、は俺に海外の棺桶のような蓋の片側が蝶番で繋げられたそれを見せながらにこにこと笑って「遊ぼう」と言った。

「入って、征くん」
「俺が入るのか?」
「うん、僕はお花をいれてお見送りする役なの」

弓なりになった瞳が、どうしてかとても恐ろしいものに思えて一瞬返事が出来なかった。丁度棺が埋まるくらいの深さの穴が、途方もなく深いものに思える。
一体いつ、なんと言ってこれを用意してもらったのだろうか。こんな山の中で、ひとりでこんな穴まで掘ったというのか。

「……この穴、わざわざ掘ったのかい」
「うん!その方がお葬式っぽいでしょ」
「今は火葬の方が主流だよ」
「もう、遊びなんだからそういう細かいことはいいの!ほら、早く入って」

早く早く、と急かされながら棺の中へ下りて急かされるままに横たわる。
棺の中は思ったほど狭くはないけれど視界の横を遮られるためか妙な圧迫感があった。息苦しい。視界に入るのは横に聳える木の板と、揺れる木々と隙間から見える空、そして棺の蓋だけ。

「どう?狭い?」
「いや……でも圧迫感がある」

胸の前で手を組んで、ぼうっと覗き込んでくるを見返しながら三年前の母の葬儀を思い出した。真っ白な、けれどきちんと化粧をされた綺麗な顔で目を閉じた母。花々に囲まれた母は寂しくなかっただろうか。死ぬ間際、苦しくはなかっただろうか。
鼻の奥がツンと痛くなって、目頭がじんわりと熱くなっていく。いつもは母のことを思い出してもこんな風にならないのに、今はとても悲しくて気を抜けば泣いてしまいそうだった。
涙が滲まないように目を閉じるとが柔らかな手付きで頭を撫でてくる。俺がを慰める時にするように、優しく撫でて、髪を梳いて、頬を撫でて、

「征くん、どうして死んじゃったの」

ぽつん、と呟かれた言葉にハッと目を開ければ、身を乗り出すようにして俺に触れていた俺に触れるが悲しそうな顔でこちらを見ていた。そうして頬から手が離れて、あ、と思う間もなく蓋が閉められる。ばたん、と大きな音がして視界は一瞬にして真っ暗になった。間髪入れずに何かを叩きつける様な凄まじい音がする。
え、と一瞬何が起こったのか分からず小さな声が零れた。
蓋を閉められた?に?何故?この音は何だ?次々に疑問が浮かんで消え、最後に残ったのはこのまま埋められ殺されるかもしれないという恐怖だった。

、開けてくれ!!」

ぐ、と強く目の前の蓋を押しても動かない。上にが乗っているのだろう。がん、がん、と打ち付ける様な音が声をかき消すように繰り返し響いて、それから急に静かになった。
悪ふざけを止めて上からどけてくれたのかと蓋を押すがびくともしない。何度か殴りつけてもただ自分の手が痛くなるだけで少しも開きやしなかった。の名前を何度呼んで返事は無く、開けろと叫んでも何の音も返ってこない。途方もない静寂が板の向こうに広がっている。

……?いるんだろ、、開けてくれないか、なあ、

蓋を押しながら言うが、板の軋む音以外何の音も聞こえてこない。どんどん早くなる鼓動と忙しない自分の呼吸音以外、何の音もしてこないのが恐ろしくて仕方がない。立ち去る様な足音もしなかったからすぐそこにいるはずなのに、何の反応を示さない幼馴染に恐怖がどんどんと募っていく。
何がしたいんだろう、どうしたいんだろう、このまま、もしかすると、
名前を呼ぶ声が震えて、伝染するように体が震え出す。怖い、怖い、どうしよう、このままここで死んでしまうのかもしれない。ぼろぼろと涙が出てきて、でもそれを気にするような余裕もない。

!ねえ!開けて、、お願いだから開けて!」

どんどんと蓋を叩いて、力の限り押して、そうするとほんの僅かに軋んだ音を立てて蓋が浮いた。微かな隙間だが、その隙間から微かに光が差し込んでくる。ああ、良かった、開くかもしれない、そう思ってもっと押そうと力を込めた時、じゃりじゃりと歩く音が聞こえた。
足音は少しだけ遠のいて、それからまた近付いてくる。何も言わない。、と呼び掛けてみても何の返事も無く、どうしてだかとても嫌な予感がした。

「駄目だよ、征くん」

やっと返ってきた幼馴染の声は、無感情で冷たい。

「征くんはもう死んでるんだから、じっとしてなくっちゃ駄目なんだよ」
「……え?」

また大きな音が聞こえてくる。荒れる波の音のような、不安感を煽るその音。それがすぐに、土を被せる音だと気付いた。
ぽつんと開いた、棺が埋まるほどの穴。そのすぐ横に掘り起こされた土が山になっていた。その山を今、崩しているのだ。崩してこの棺の上に掛けている。埋める気なのだ、棺を、中に入った俺ごと!

!いい加減にしてくれ、こんなの遊びじゃないだろ!!!」
「僕、毎日お参りに来るね、それでその日にあったこと、お話するよ。征くんが寂しくならないように、お花とかお菓子とか、いっぱい持ってくるからね」
「開けろ!!やめてくれ!」
「絶対絶対、征くんのこと忘れたりしないから。ずっと、大人になってもずっとずうっと覚えてるからね」
!!」

微かに差し込んでいた光が消えた。


* * *


盛り上がった土の上に並べた花々が、風が吹くたびに少しずつ転がり飛ばされていく。その下から聞こえていた声はもうすっかりか弱く小さい。
棺の中に横たわる、ほとんど自分の記憶に残っていない親戚の顔を見たとき、これが征十郎くんだったら、と考えてしまった。棺の中で白い顔で横たわって、花に囲まれた彼の姿はきっととても美しいに違いない。そう思って、それから、征十郎くんが死んだら僕はどうなるんだろうとも思った。
生まれた時からずっと一緒にいてくれて、彼はどんな僕も受け入れてくれる。しょうがないな、て笑って僕の我が儘を叶えてくれたり、喧嘩して怒っても僕がぐずぐず泣いていれば困ったような顔をしながら許してくれて、どんな時も隣に居てくれた。仕事で留守にしがちの両親に寂しくなっても、征十郎くんが一緒にいてくれるから平気だった。
もし、彼が死んでしまったら。僕はどうなるんだろう。
それが知りたくてはじめた“お葬式ごっこ”だったけれど、実際に棺桶に横たわる征十郎くんをみていたらどうしてもそのままそこに閉じ込めてしまいたくなった。このままここに閉じ込めておけば、全部全部僕のものだ。そうなればきっと、彼が死んでしまっても僕は平気。

「征くん、僕、きっと寂しくないよ」

ここを掘り返して棺を開ければ、いつだって征十郎くんに会える。どんな姿になってようが征十郎くんに会えるのだ。
きっと征十郎くんも寂しくない。僕が毎日かかさず会いに来て、たくさん話をするもの。

ここは楽園であるために

rewrite:2022.02.16