03

なるべく出来る範囲のストレッチとトレーニングをしていたとはいえ、やはり筋力などは落ちてしまったようだ。ちょっとだけ薄くなった自分の体に落ち込みながらが選んでくれた服を着て、寝室を出る。
約三週間ぶりのリビングは見慣れているはずなのになんとなく落ち着かない。テーブルに置かれたままのスマートフォンを見てみれば、何件か未読のメッセージが残されていたがほとんどはが返してくれていたようだった。

「準備出来たー?」

洗面所の方から、俺とお揃いのワイシャツと、色違いの帽子を被ったが出てくる。

「どこで待ち合わせしてるんだ?」
「駅前のカフェだよ」
「ああ、ケーキが美味しいとこだっけ」
「そう!何でも美味しいんだけど、特に季節のタルトがすっごく美味しいんだぁ」
「じゃあ食べてみようかな」

ああでもないこうでもないと履く靴を迷うに少しだけ付き合ってから、部屋をでる。随分久しぶりの“外”だけれど、特に何の感情も湧いては来なかった。
久しぶりのお出掛けが楽しいのか、にこにこしているの話を聞いていればあっという間に駅まで着いてしまった。はカフェには入らず、近くの本屋で時間を潰すらしい。出来れば俺ひとりで、という向こうからの希望なのだそうだ。

「じゃあ終わったら連絡してね」
「分かった」

あとでね、と手を振るに手を振り返して、ドアをくぐる。珈琲の良い香りと菓子の甘い匂いの漂う店内はそれなりに満席で、さざめきのような人の声に満ちていた。
ショーケースに並ぶケーキはどれもツヤツヤキラキラしていて、確かにの好きそうなものばかりだ。この後真っ直ぐ帰るならお土産に買っていけるけれど、今日は諦めるしかない。またいつか近くに来ることがあれば買って帰ろう。
先に来ているらしい黒子たちを探せば、まあすぐに見つかった。ひとりでもやたらと目立つ男がいれば、そこだけ周囲から浮いて見えるのだろう。

「やあ、久しぶりだね」

周りの女性たちのどこか熱っぽいひそひそ話の的であろう男の肩を背後から叩く。

「あ~赤司っち!生きてた!」
「どこにいてもお前は目立つな」
「そうっスか?」
「ああ、店に入ってすぐに分かった」
「黄瀬ちん待ち合わせ場所に最適だかんね」
「紫原っちもそうじゃないっスかぁ」
「赤司君、こっちどうぞ」
「三人なんだな」
「緑間君はゼミで一昨日から九州に行ってるらしくて、青峰君はまあ、気にしてましたけど東雲さんに関わりたくないからと」
「随分な言われようだな。あいつに何かしたことないはずだけど」
「単純に他人の恋路に興味がねえとも言ってましたけど。で、何飲みますか?僕らはもう注文を済ませているんですけど」
「ああ、じゃあこれにするよ」
「珈琲じゃないんですね」
「ここのチャイがおすすめだってが言ってたからね。あと季節のタルトも美味しいって言ってたからそれもいただこうかな」

とっても美味しいんだよ、食べてね、美味しいからね、ときらきらの目で言うを思い出してつい笑ってしまった。
やっぱりお土産に何か買って帰ろう。ケーキは無理だが茶葉や焼き菓子なら持ち歩けるだろうし、もきっと喜ぶだろうから。


* * *


一番はじめに赤ちんと連絡が取れないと気付いたのは黄瀬ちんだった。俺たちの中で一番マメに連絡を入れてくるのは黄瀬ちんだから、これはまあ当然だろうと思う。
多少遅れても必ず返信してくれていた赤ちんから返事が来ない、と黄瀬ちんから連絡が来たのは、返事が途絶えて三日後。体調でも崩したか、端末がぶっ壊れたかしんじゃないかとその時は適当に流したけれど、それから一週間たっても赤ちんとは連絡がつかなかった。
一番高い可能性としては、あのヤバいサイコパス疑惑が赤ちんをどうにかしたということだ。まあ俺たちの誰もがそれを考えたし、黒ちんに至っては確信していたけれど。
赤ちんの通う大学に一番近いとこに通っていた緑ちんがその大学に赴いたところ、ここしばらく赤ちんがずっと欠席していることが判明した。ゼミもサークルも欠席で、“家庭の事情”ということらしい。
ゼミやサークルメンバーのメッセージやメールには返信するのに、俺たちには返信がない。それを知った俺たちの間では赤ちんがカノジョに監禁されているのだろう説が一番濃厚なものとなった。
そうして先週、黄瀬ちんのかけた電話が繋がった。出たのは件のカノジョである。その結果が、今日のこのカフェで美味しいケーキを食べている今だ。

「まだ食べるんスか?」
「まだ食べてないのあるから」

赤ちんの注文したものを運んできたお姉さんに追加のケーキを注文すると、黄瀬ちんがちょっと引いた顔をしている。多分赤ちんを待っている間に三つ食べていたからだ。でもここはケーキの種類が多くて、まだ食べてない食べたいやつがあるのだから仕方がないだろう。
赤ちんが紅茶を飲み、一息ついたところで黒ちんが口を開いた。

「今までどうしてたんですか」
「家にいたよ」
「“家庭の事情”で?」
「そう、家庭の事情で」

何が面白いんだか赤ちんはくすくす笑っている。
高校に入ってから、赤ちんは少しずつ壊れていったように思う。正気ではない人間と共にいれば正常な人間も自身の正気を段々と失っていくように、じわじわと、でも確実に。
俺たちの知っていた“赤司征十郎”という像は、きっともうどこにもいない。まあ、所詮像でありただの一面だったのかもしれないが、それでも自分の知る人間が知らない存在のようになるというのは寂しく悲しいことだと思う。
なんともいえない遣る瀬無さのようなものを感じながら赤ちんを見れば、美味しそうな顔でタルトをつついていた。どこを見てるんだか分からない目をしているし、あの頃の威圧的ですらあった覇気のようなものはもうどこにもないけれど、生きているだけいいのかもしれない。
やたらと正義感じみたものが強い黒ちんには許容できないようだけど、ここまできたらもう手遅れだろうし、何を言ったところで意味はない。赤ちんって結構頑固だから、自分の決めたことは曲げないし。

「お前たちが色々心配してくれるのはありがたいけど、もう大丈夫だよ」
「全然大丈夫じゃないっスよ。赤司っち自分が何されてるか分かってるんスか?監禁っスよ?」
「出ようと思えば出れたから違うよ。俺の方があの子よりずっと力が強い。手段を択ばなければどうにでもなる」
「じゃあ、君は望んでそうされていたっていうんですか」
「ああ」
「……やっぱり赤司っち、なんか変っスよ」
「そうかな」

「ご注文伺います」
「ミックスサンドひとつと二種類のベリータルトひとつと、あと和栗モンブランひとつお願いします」

たいして意味も中身もない三人の会話を聞きながらまた追加注文をすれば、黄瀬ちんは「カロリー……」ととっても渋い顔をしてきた。赤ちんは「相変わらずよく食べるな」と親戚のおじさんみたいなことを言って笑って、黒ちんはそんな赤ちんをなんとも言えない顔で見ている。

「ねー赤ちん」
「なんだ?」
「今楽しい?」

俺の聞きたいことが分かっていたのだろう、赤ちんは「楽しいよ」と朗らかに笑った。

「どこが好きなんだっけ?」
「ふふ、“俺に”一生懸命なところだな」
「大学辞めんの?」
「うーん、どうかな」
「まあ死なないように仲良くやんなよ」
「はは、ありがとう」

前に聞いた時と同じ、幸せだと言った時と同じ顔で赤ちんは笑う。ただの恋する男みたいなその笑顔に黒ちんは口を閉ざし、黄瀬ちんは苦しそうに眉を寄せた。
赤ちんも馬鹿じゃない。あのままずっとあんな破綻した人間と付き合っていけばその先がどうなるか分かっていたはずだ。それでも共にいることを選んだのは赤ちんだ。

「心中する覚悟もしてるしね」
「ああ」

楽しそうに笑って赤ちんは注文したものを平らげると、これからデートだからもう行くよ、と席を立った。

「次は何時会えるか分からないが元気で。紫原、病気には気を付けるんだぞ」

それだけ言うと何の未練もないとばかりにさっさと俺たちの分まで会計して、何やらお土産を手に店を出て行った。なんともまあスマートに奢られてしまった。きっとあのお土産はカノジョへと渡されるのだろう。

「赤司っち、もう俺たちのことどうでもいいみたいな感じっスね」
「実際どうでもいいんじゃない」

もう赤ちんにとって、東雲以外の人間はきっとどうでもいい人間なのだ。
だから赤ちんは、それなりに久しぶりに顔を合わせるというのに俺たちの近況など聞きもしない。俺たちからの質問に答えるだけで、自分から何かを聞くことはついぞ無かったのがその証拠のように思える。

「もう会えないかもっスね」
「……次に会うのが遺影じゃないことを祈りましょう」
「縁起でもね~」

この後の季節のことはしらない

rewrite:2022.05.27 | 全編加筆修正、これにて「愛執」完結となります。