Cemetery

※主人公:黙っていても崇め奉られる教祖系(諸説あり)

触れたらすべてが変わってしまう

▼ 宮田司郎 / siren

“彼女を生かしたのは空想です。彼女を殺したのも空想です。”ひらひらと左手に握り締められた真っ赤なリボンを風に靡かせながら佇む彼の姿に、ふとつい先日手に取った小説の一説が過った。嘘で塗り固められた彼だけの楽園の最後の欠片が、今まさに崩れ去ろうとしている。絹糸のような美しい髪がきらきらと光を跳ね返しながら揺らめいていた。青い空を背に立つ彼のその姿はどこか現実離れしていてひとつの絵画のように現実味がない。何かの映画のワンシーンのようにさえ思えてしまう。ぼんやりとその光景に見惚れていると、彼は緩やかな笑みを浮かべ、朗らかな声で言った。「ねえ、司郎にまたねって伝えてくれる?また逢おうねって。司郎は俺に会いたくないかもしれないけど、俺は会いたいから逢いに行くねって」砕け散った彼の楽園の残骸が煌めく。愛おしそうに細められた目は酷く伽藍堂で、それが何より恐ろしかった。鉄の扉は開く気配すらない。彼を救えるはずの人はもう二度と彼の目の前に姿を現さないのだろう。それはそうだろう、彼がそうしてしまったのだから。「それと」浮かんでいた淡い笑みが、そっと花が綻ぶような笑みに変化する。見る者の心を柔らかく捕らえ鮮やかに彩るその笑みはしかし、今の私には何かとても悍ましいものに思えた。今の彼は何もかもが歪だ。ゾッとするほど捻じ曲がって、本能的な嫌悪を抱いてしまう。「きっとあり得ないことだろうけど、もし、もし司郎が俺を許してくれるって言うのなら、まだ好きだって言ってくれるのなら、追いかけて来てって、伝えてほしいんだ。待っているからって」寒気がした。この人は何もかもに蓋をしてしまったのだ。そうしてその蓋の上に自らが思い描いた理想を書き連ねたのだ。あの時終わったと思っていた彼の国はいまだ終わっていなかったのだ。「それじゃあよろしくね、牧野君」幸せそうに柔らかく、美しくも酷く禍々しい微笑みを浮かべた彼は呪うように空を見上げ、飛んだ。伝える相手のいない伝言を遺して。
rewrite:2022.03.10 | 少女地獄「彼女を生かしたのは空想です。彼女を殺したのも空想です。」/ 夢野久作

横顔のくらがりの月

▼ 宮田司郎 / siren

彼が真夜中に目を覚ますようになったのはいつからなのだろう。ふと隣に温度を感じず目が覚めて、見ればその姿はどこにも無い。そうして探せば彼は決まって居間のソファで薄闇に沈みながら、少しだけ開けられたカーテンの隙間から外を眺めている。どうしたのか尋ねればその返答はいつも同じ、「夢を見た」だ。そしてその後に、夢を見ていたことは覚えているけれどどんな夢だったのかは覚えていない、そう続く。けれど決して良い夢ではないのだと彼は言う。体の隅々に残る気持ちの悪い重さで分かるのだと。「また夢を見たんですか」深夜三時、探した温度がいつまでたっても指に触れず目が覚めた。少しだけ眠気の残る体を起こして居間へ向かえば、案の定彼はソファに身を預けぼんやりと外を眺めている。「ええ、また見ました」窓の外から視線を外さず彼は頷いた。暗い室内に射す月明かりが彼のい肌を淡く照らし、ひどく遠い人に思わせる。「起こしてごめんなさい」そう思うのなら少しでもこちらを見ればいいのに、彼の視線は変わらず外を向いている。何を見ているのだろう、一体そこから何が見える。一度、昼間に彼がいつも座るそこに腰掛け彼がいつも見ている景色を見たことがあった。そこにはただ砂利と緑と空が広がるだけで、他には何もない。彼は何を、いつもいつも、「何を見ているんですか」ふっと小さく、そっと息を吐くように彼が笑った。そして隣へ座れというように手を動かす。誘われるがままに腰を下ろせば朝焼けのような彼の瞳が柔らかな孤を描いた。「司郎さんは、ここから何が見えますか」そっと寄り掛かる温かい重さを感じながら窓の外へ目を向けるが、月の心許無い光しか存在しないそこはただ薄闇が広がるだけで何も見えない。「俺にはいつも、あの暗い墓穴が見える。貴方がつくる、墓穴が」不意に吐き気がこみ上げて目を閉じた。そうしてまた開いた時には彼の姿は何処にも見当たらず、名前を呼ぼうと息を吸ったところではたと気付いた。俺は、あの人の名前すら知らない。
rewrite:2022.03.11 | 文字書きの為の言葉パレット(@x_ioroi)「朝焼け・白・薄闇」

いとおしむように目を閉じて

▼ 宮田司郎 / siren

あの人は蜘蛛のようだ。巧妙な罠を張り巡らせ獲物を捕らえる様は正しくそう。美しい蝶を雁字搦めに捕まえてあの人は一体これから何をしようというのだろう。食らうのだろうか、それとも。「倉瀬さん」眞魚川の方へ歩いていく倉瀬さんを思わず呼び止めた。酔っているようなふわふわとした不安定な足取りと何処も見ていない眼差しに不安を覚えたのだ。彼のそんな姿は初めて見た。私が知る彼は、いつだって何もかも決まっている道を歩んでいるような足取りで、ずっと先まで見通すような目をしていたのだ。足を止めた彼は声が何処から聞こえたのか分からなかったのか、やけにのんびりとした仕草で辺りを見回す。それからようやく私の姿を見つけた。だが彼はぼうっと私を見つめるだけで何の反応も示さない。「倉瀬さん?」もう一度声をかければ「あ、牧野さん」と今気付いたかのように瞬いた。奇妙なズレに恐れが次々と浮上してくる。「珍しいですね、こんなところまで……お散歩ですか?」「……」一瞬目が虚ろになり、何かを探すように視線が彷徨う。「ええ、今日は、天気がいいですから」そう答える彼はどこか崩れた笑みを浮かべた。それが恐ろしくて一瞬言葉が詰まる。彼はこんなにも不安定な、それこそ薄氷の上に立っているような危うさを持っていただろうか?今にも沈んで絶えてしまいそうな空気を?「これから病院に行くんです」その言葉にと夢を見ているような無垢な瞳とあどけない笑みに、鳩尾の辺りが急激に冷え込んでいく。あまりにも無防備なそんな顔を彼がするとはとてもじゃないけれど信じられなかった。「皇一郎、こんなところにいたのか」ただ呆然と幼い笑みを浮かべる彼を見つめていた私の耳に飛び込んできたその声は、平時では考えられないほど柔らかく優しい。彼の背後から、私にとっては恐怖でしかない白衣が見えた。「ああ、牧野さんといたんですか」ゾッとする程冷たく鋭い視線に身が固まる。「駄目だろう、約束を忘れたのか?」「ごめんなさい……」まるで悪夢を見ているようだ。失礼します、と言った宮田さんの口元が微かに歪んでいた。
rewrite:2022.03.14 | 文字書きの為の言葉パレット(@x_ioroi)「薄氷・視線・浮上」

神も化け物の一つ

▼ 宮田司郎 / siren

誰もが彼に傅き平伏している。教会の者でも神代の者でもない彼を神の如く崇拝するのだ。たった十四歳の子供に村の者が挙って頭を垂れる様は異様なもので、初めてその様を見たときはただ気味の悪さを感じていた。けれど彼にはそうさせるだけの何かがあったのだ。神と崇められるだけの圧倒的な何かが。それは人に希望を与え救いもするけれど、同時に心を惑わし破滅させるのだろう。「貴方は毒のようですね。たった少しでも致死量になる猛毒だ」「随分酷いことを言いますね、先生」眉を下げて困ったような顔をして見せるけれど、この人は何もかも分かっていてやっているのだ。自分が毒になるとよく分かっている。「貴方が何をしたいのか時々分からなくなる。人を嫌うくせに、どうして人と関わろうとするんですか」自分を崇め平伏す者を酷く憎んでいるくせに、彼はそういう人間とより積極的に関わりを持っていた。「どうしてだと思いますか?」いつもの淡い微笑みが全てを覆い隠していたけれど、細められたその瞳を一瞬薄暗く冷たいものが鳥の影のように掠めていった。「壊してしまいたい……」その影を追うようにふと零れた俺の言葉に、彼は微笑んだまま何も言わない。「何もかも壊してしまいたい、のですか、貴方は」きっと遅効性の麻酔のようにじわじわと身動きを取れなくさせ、確実に捕らえてから地獄のような夢を見させるのだろう。自らが命を絶つまで、延々と。「俺は神様なんかじゃないんですよ、先生」淡く美しい笑みをのせたまま夢見るような声で彼は言う。「でも皆、俺を神のように扱うんです。俺よりもずうっと年上の人間までもがたかが子供を畏れ跪くんですよ」じっとりとした狂気を孕んだ目が緩やかな弧を描いている。「あの人たち、俺に助けを求めるんです。俺に、自分たちを苦しめている張本人に。とても面白いでしょう?」おかしくて堪らないとばかりに笑いながら彼が立ち上がった。目の前に立ち、見下ろしてくる彼の目はどろりとした沼のように濁っている。彼の冷えた指が頬を撫でていく。「宮田先生は?」
rewrite:2022.03.14

遣る瀬なくまたたく透明

▼ 宮田司郎 / siren

彼の王国は滅んでしまったのだ。あの絢爛と輝き何者をも圧倒し魅了していたあの王国は砂の城のように呆気なく、そして幻のごとく消え去ってしまったのだ。まるで最初から存在しなかったように、跡形もなく……いや、違う。滅ぼしたのは、彼の王国を蹂躙し破壊したのは他でもない、俺自身だ。「こうなることは初めから分かっていたことだよ」だからそんな顔をしないで、と変わらず美しい笑みを湛えて俺に触れる指は溢れんばかりの慈しみに満ちている。けれど俺は知っているのだ。その奥底で、俺への憎しみに緩やかに殺されていく彼を。「倉瀬、」どうか俺を殺してくれ、お前が死んでしまう前に、お前が消えていなくなってしまう前に、お前がお前ではなくなってしまう前に、一思いにその穢れのない美しい手で何もかも奪ってしまってくれ。しかし言葉は小さな喘ぎとなって掠れて消えていく。彼の目がそうさせたのだ。「もう名前では呼んでくれないのかい、司郎」愛おしそうな眼差しの奥に途方もない厭悪が渦巻いている。相反する二つの感情に、彼の手が惑うように微かに震えていた。「もう、きっともう、俺は君に会うことものないのだろうね」彼の口から漏れた笑い声は空々しく、彼の中がどんどん崩れていっているのがよく分かった。もう終わりは近いのだ。不意に彼が靴に手をかけた。無言のまま彼は靴下も脱ぎ捨て裸足になると、一度だけ悲しげに息を吐き、俺を見てまた微笑んだ。「嗚呼、司郎!俺が今何を考えているか君に分かるか?はは、分からないだろうね!君には到底、解りっこない。君は、何も知らないんだ」最後は呟くような声でそう言い、彼は真っ直ぐ海へと歩いて行った。「あの話を覚えてる?みっつめのトビラを開けてはならないという話」ばしゃりと彼の白い足が水を跳ね上げた。「俺は開けてしまったんだろうね、その、みっつめのトビラを」膝まで海水に浸かった彼の顔を夕日が紅く照らしている。「ああ、お前も連れて行ってしまいたい」深潭へ沈んでいく彼のその目は、一生忘れられないだろう。
rewrite:2022.03.14 | 文字書きの為の言葉パレット(@x_ioroi)「みっつめ・裸足・砂の城」

千夜一夜の掃き溜め

▼ 宮田司郎 / siren

それを発見したのは宮田司郎が院長として勤めていた医院の看護師だった。出勤時間になっても現れない宮田に何かあったのかと連絡を入れるも応答はなく、今までに無い事態に不安を覚えた看護師は宮田の家まで赴いた。看護師が宮田の家に着いたとき、奇妙なことにドアが薄く開かれたままになっていた。そのことに不安を更に募らせながらも看護師は中に踏み込み、そうしてこの事件は発覚した。看護師が宮田を発見したのは寝室と思われる場所で、最低限の家具しかない寝室は異様な様相を呈していた。宮田はベッド脇に置かれた椅子に座り、不自然に上半身をベッドへ倒れこませていた。その時既に宮田は息をしておらず、死因は不明のままである。そしてそのベッドの上に一人の人間が横たわっていることに看護師は気付いた。腹部から夥しい量の出血があり白いシーツが赤黒く染まっていたがしかし、その死に顔に苦痛の色はなく腹部の出血がなければただ眠っているように見えた、と看護師は証言している。看護師からの通報で駆け付けた石田徹雄巡査は、後に宮田の手記を発見している。以下、手記から抜粋。『二月四日、あれは神様だったのかもしれない。二月二六日、あの人に出会った。名は倉瀬皇一郎、まだ十五歳だと言っていた。家を飛び出して来たらしい。原因ははぐらかされてしまった。三月四日、本屋で倉瀬さんと会った。今は宿を借りているらしい。三月二八日、倉瀬さんが俺の家に住むことになった。世話になると言って微笑んだ彼はまるで天使のようだった。四月五日、倉瀬さんと暮らすようになってから、ますます彼が何かこの世のものではない方のように思える。あの人は本当に神様なのかもしれない。六月二七日、皇一郎様はきっと俺を少しからかったのだ。彼が俺を愛している訳がない、神は決して人を愛してはならないのだ。許されない。彼は俺如きに囚われてはならない。神様なのだから。まさか、全て嘘だというのか?俺が作り上げた虚像だとでも?馬鹿を言え、そんな訳がない。彼は神様だ。六月二九日、彼は自分が神だということに気付いていない。記憶を失っているのだ。今夜、彼が神であるということを示し目覚めさせる。』
rewrite:2022.03.14 | 文字書きの為の言葉パレット(@x_ioroi)「手記・虚像・神様」

月と蛞蝓

▼ 宮田司郎 / siren

彼は、愛してはならない人だった。愛してはいけない人を俺は愛してしまったのだ。彼は存在すること自体が罪なほど美しい、神に等しい人だった。聖母マリアの如き慈愛に満ちた微笑みも、時折悪戯めいた光をみせる蠱惑的な瞳も、人を魅了する様々な言葉を操り紡ぐ唇も、何もかもがどうしようもないほどに心を掴み、逃れられないほど絡み付いてくるのだ。それは最早悪魔的ですらあった。彼は愛してはいけない人だ。けれど愛さずにはいられないのだ、何もかも投げうって、全てを差し出しても構わないと思わせるものが彼にはあった。「先生」そうっとひそめられた声はぞっとするほど甘い。ベッドにくたりと横になったまま、彼はこちらを見つめている。「先生、もう帰るんですか」「ええ、もう診察は終わりましたので」これ以上ここに居てはいけない。こんな、彼の香りしかしない部屋に二人きりで、手を伸ばせば容易に触れてしまえる距離にいるだなんて気が狂いそうだ。「先生」手早く診察道具をまとめていく俺をもう一度彼が呼んだ。「もう少しここにいて」「……」衣擦れの音がして、気配が近付く。「先生、いつもすぐ帰っちゃうから寂しいんです」白衣がくん、と引かれぐわりと腹の底が熱くなる。「せんせい」すぐそばで甘く掠れた声が囁いてくる。細い指がやわやわと白衣の裾を引いて、「せんせい」とろりとした毒の混じった甘い声が脳を焼く。革の持ち手を握りしめていた指から力が抜け、鞄が音を立てて床に落ちた。「ね、せんせい。すこしだけお話、しましょう」裾を掴んでいた手がそうっと空になった俺の手に触れ、やんわりと指先を握ってくる。少し冷たいその手に引かれるがまま振り向けば、身を起こした彼が柔く笑んでいた。駄目なのに、いけないと思えば思うほど彼に恋焦がれ、彼を思えば思うほど気が触れそうになる。腹の底が熱をもって、じりじりと思考を煮立たせる。「せんせい、ここ、座って」示されたベッドの上、そこに腰かけてしまえば終いだ。
2023.12.17